梅雨の晴れ間を見逃さず、ドイツ人、リトアニア人、カナダ人、台湾人、インド人、バングラデシュ人を連れて愛知県の新城市へハイキングに行ってきた。その際、彼らからいろいろな話を聞いたので、今回は「危険な場所での安全を祈る文化」について紹介しよう。
ちなみに、文化については国の違いはあまり意味がなく、宗教によってまとめられることが多く、今回の場合は以下のようになる。
ドイツ、リトアニア、カナダはキリスト教の文化圏
台湾は道教と仏教が入り混じった文化圏
インドはヒンドゥー教の文化圏
バングラデシュはイスラム教の文化圏
日本は神道と仏教が入り混じった文化圏
登山道の入口に三体のお地蔵さんがあって、国籍や宗教で差別することはないはずなので、地蔵菩薩にパーティー全員の無事をお祈りした。日本の登山道では地蔵をよく見かける。その理由をAIに尋ねると、旅の安全祈願や亡くなった人の霊を供養するためとのこと。
個人的には、苦しんでいる死者を救ってくれるのが地蔵菩薩で、生きている人を救ってくれるのが観音菩薩、というイメージがある。
現代のようにハイキングコースとして整備されていない時代、山に入るのはかなり危険な行為だったから、ご先祖さまが神仏に安全を祈願したくなる気持ちはよくわかる。
100年以上前はどこの国も同じようなもので、「困った時の神頼み」という発想も人類共通のはずだ。ということで、外国人に母国でも登山をする際、無事を祈る風習があるかを聞いてみた。
キリスト教文化圏:いや、そんな文化は知らない。登山をする前、個人的に心のなかで神(ゴッド)に安全を祈ることならあるだろうね。
イスラム教文化圏:イスラム教も同じく一神教だから、もし無事を祈るとしたら、それはアッラー以外にありえない。イスラム教の考え方では、地蔵のような像を作ることは厳禁されているから、そんなものを置くことはできない。
でも例外的に、バングラデシュのデルタ地帯ある「シュンドルボン」ではそんな文化がある。
※イスラム教とキリスト教と同じくアブラハムの宗教で、「アッラー」と「ゴッド」と名前が違うだけで同じ神を信じているから、考え方では共通している部分が多い。
台湾人:山に入るのに、何かに祈るという話は聞いたことがない。台湾では山に原住民がいるから、昔は平地に住む漢民族が、あえて山奥に入っていくことはなかったと思う。だから、そんな文化が生まれなかったのでは?
でも、漢民族は台湾の海沿いに住んでいたから、船を出すときに道教の女神「媽祖(まそ)」にお祈りをすることはよくある。
※台湾では、媽祖に航海の安全を祈願する信仰が盛んで、横浜の中華街にも媽祖を祀る施設(横浜媽祖廟)がある。
インド人:私が住んでいたところは平地で山がなかったから、山にかかわる文化はよく分からない。でもヒンドゥー教徒なら、ヒンドゥー教の神々に安全を祈願することは十分ある。登山道にそのための像が置いてあるかもしれないし、山に登る人が出発する前に、家で祀っている神に祈るかもしれない。
バングラデシュ
今回、外国人の話を聞いた中で、日本の文化にいちばん近いと思ったのがサンダルフォンじゃなくて、シュンドルボンにある風習だ。
(漁業に関しては台湾の媽祖信仰が日本と似ている。)
バングラデシュにはユネスコ世界自然遺産に登録されていて、世界最大のマングローブ林のシュンドルボンがある。これはベンガル語で「美しい森」を意味する。
シュンドルボンにはベンガルトラやワニ、巨大なヘビなどが生息していてとてもデンジャラス。でも、周辺にいる多くの貧しい人たちは生活のために、ハチミツなどを取りにシュンドルボンへ入る。
そうした人たちは森の女神「ボンビビ(Bonbibi)」に安全や豊かな収穫を祈願して、森に入る習慣がある。ボンビビは「シュンドルボンの女王」のような存在で、すべては彼女の管理下にあり、とくに危険なベンガルトラから守ってくれると信じられている。
ボンビビ信仰がユニークなのは、ヒンドゥー教徒もイスラム教徒も彼女に祈りをささげていること。バングラデシュ人の話では、イスラム教の考え方からしたら、それは本来いけないことだが、住民はシュンドルボンをとても恐れていて、昔からの風習として女神ボンビビに安全を祈願しているという。
英語版ウィキペディアにある「ボンビビ」の項目には、ヒンドゥー教徒は粘土で彼女の像を作ることが多く、偶像崇拝を避けるイスラム教徒は赤い旗を立てたり、盛土に花輪を飾ったりして彼女をたたえるという説明がある。
In terms of religious representation, Hindus often construct clay statues of Bonbibi, while Muslims, who typically avoid idol worship, honor her by erecting red flags and placing floral garlands on mounds.
日本でもその山を支配する神の存在を信じ、ハンターが狩猟のために危険な山に入る前、山の神に安全祈願をしたり、豊猟を祈る祭りを行ったりすることが昔からあった。狩猟の神事としては諏訪大社の「御頭祭」が有名だ。林業でも伐採を始める前に、酒や塩を供えて山の神に無事を祈る。
登山道にある地蔵はこうした山に対する畏れの気持ちや、亡くなった人を供養する目的があって立てられた。
考え方や価値観としては、キリスト教やイスラム教などのアブラハムの宗教よりも、森の女神「ボンビビ」に安全や豊作を祈願してから、シュンドルボンに入るバングラデシュの人たちに近い。
ヨーロッパでもキリスト教が信仰される前、ペイガニズムの時代には森に畏怖の念を感じて、「神」に祈る文化があったが、キリスト教の普及によってそんな風習は消えたのだろう。
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