きょう、7月5日はベネズエラ人にとって、とてもめでたい日だ。1811年のこの日、南米のベネズエラはスペインからの独立を宣言し、これがベネズエラの独立記念日となっている。
ところで読者のみなさんは、ベネズエラという国名の由来をご存知だろうか。
この地がイタリアのベネチアに似ていることから、「小ベネチア」と呼ばれ、それが後にベネズエラという国名になったと、一般的には言われているが、先住民の言葉が由来になった可能性もある。(Venezuela)
今回は、日本、スペイン、ベネズエラの「国名変更」について書いていこう。
まず、わー国について。
古代、日本は中国人に「倭(わ)」と名付けられ、先祖たちもその名前を使っていた。しかし、ある時、倭の人々はその名前に侮辱的な意味があることに気づいてしまった。
『説文解字』によると、倭 は「従順な様子」を表す言葉で、中国では自国を文明国とし、周辺国は未開で野蛮な地だと考える「中華思想」があったため、周辺国に意図的に悪い意味の漢字をあてることがあった。たとえば、「匈奴」や「鮮卑」、「犬戎」なども見た目で侮辱的な意味と分かるだろう。
では、「日本」という名前はいつ歴史に登場したのか?
第一次遣隋使が630年に送られた後、倭国は何度か中国へ使節団を派遣した。この時、倭国はずっと「倭国」と名乗っていたが、702年に日本を出発した第八次遣唐使の時、中国側に渡した文書の中で初めて「日本」という名前を使った。「日の本(ひのもと)」の意味は、「太陽が昇る場所(国)」だろう。
そういえば、最近、日本に住んでいるインド人が海外出張から帰国してSNSにこう書いていた。
「I’m back at the land of the rising sun now!」
国名を変更した理由について、中国の『旧唐書』には次のように記されている。
「倭の人たちは優雅ではない国名を嫌って、“日本”と改めた」
(倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となす)
『新唐書』にも「倭の名を悪んで、改めて日本と号く」と書かれており、日本人が「倭」という名前を嫌って「日本」に変更したことは間違いない。(「倭国」から「日本」へ)
ただし、国内では「倭」も使われていた。奈良時代の中期から、同じ発音で良い意味を持つ「和」も使われるようになり、次第に「倭」は使われなくなり、雅(みやび)な「和」が主流になった。
話を戻すと、「ベネズエラ」も外国人がつけた名前だ。
15世紀末にヨーロッパ人がこの地に来て、先住民が湖の水上集落に住んでいるのを見て、それがベネチアに似ていることから「小さなベネチア」と名付けたのが始まりだ。このスペイン語発音が「ベネズエラ」になった。
ベネズエラは長くスペインに支配されていたが、1811年7月5日に独立を宣言する。自立したら、外国人に名付けられた国名を変えたいと思わないだろうか?
フィリピンにはそんな動きがある。
フィリピンは300年以上スペインの植民地だった。そのため、国名はスペインのフェリペ皇太子(後の国王フェリペ2世)に由来している。
これは「倭」のように悪い意味ではないが、かつての支配国の王の名前にちなんで付けられたことを、屈辱的に感じる人もいる。1978年、当時のマルコス大統領が「マハルリカ」という名前への変更を訴えたが、その主張はあまり支持されず、話は流れてしまった。
2019年にも、当時のドゥテルテ大統領が植民地時代の名残を消し、主体性を強調するために「いつかマハルリカに変えたらいい」と述べた。
これについて、知人のフィリピン人にどう思うか尋ねると、「気持ちは分かるけど、私は反対。もう“フィリピン”に慣れちゃったし、今さら国名を変えるのは現実的ではない」と否定的な見方をしていた。
そんな国民が多いらしく、この話も今では忘れ去られている。
シモン・ボリバル(1783年ー1830年)
「国名をヨーロッパ人に付けられ、スペインの支配を受けていた」という点では、ベネズエラも同じだ。なら、ベネズエラでも国名を変更しようとする動きがあるのでは? そう思い調べてみたけれど、特にそのような動きはないらしい。
しかし、1999年にベネズエラの大統領は国名に「ボリバル」を加え、正式な国名を「ベネズエラ・ボリバル共和国」に変更した。この「ボリバル」は革命家であり英雄であるシモン・ボリバルを指している。
シモン・ボリバルは、スペインに支配されていたベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアの5カ国を独立に導いたため、ラテンアメリカでは「解放者」(El Libertador)と呼ばれている。ボリビアという国名も彼にちなんでつけられた。
ボリバルはベネズエラで生まれたため、ベネズエラ人は彼をとても尊敬している。
AIに英語で国名変更の理由を尋ねると、「ベネズエラの国民的アイデンティティー(Venezuelan national identity )を強調し、政治的に新しい方向性を示すため」という答えが返ってきた。そのためなら、国名をすべて変えるのではなく、解放者の名前を入れることも有効だ。
これは、日本人が「倭」から「日本」へ、フィリピン人が「フィリピン」から「マハルリカ」へ変更しようとした理由と通じる部分がある。やっぱり、民族性の主体性は重要だ。
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