今と違って、大日本帝國の時代には2つの時間(標準時)があった

今の日本の時間は明治時代から始まった。
1886年7月13日、イギリスを基準に、東経135度の時刻を日本標準時とする法令が制定された。現在、この日はこの日は「日本標準時制定記念日」となっている。1888年1月1日からその時間が採用され、今まで続いている。
でも、経度が1度ずれると4分の差が生まれる。だから、厳密に言うと日本国内でも時差がある。たとえば、東京と大阪では経度が約4度違うため、約16分の時差がある。視覚的に言うと、「ひらパー」の日の出の時間はディズニーランドよりほんの少し遅い。
大阪人が遅刻して来ると、最初に「ちゃうねん」と言ってから言い訳をはじめる(らしい)。でも、大阪で待ち合わせをしていて、16分以内の遅刻なら、「郷に入っては郷に従え、大阪時間ならセーフや!」と言い放つことは可能だ。それで何を失うのかは知らないけど。

日本ぐらい小さな国なら時差はなくていいし、あったらむしろ不便。でも、アメリカぐらいのデカい国だとそうもいかず、国内には4つの時間帯(標準時)があるのだ。住民にとっては、ローカル時間があったほうが生活しやすい。アメリカ本土以外にも、アラスカ時間やハワイ・アリューシャン時間を加えると6つになる。
実は、日本にも2つの標準時があったことをご存だろうか?

 

先ほど書いたように、1886年に日本標準時が定められた。その後、日本は日清戦争に勝利して、1895年に台湾を清から譲り受け、新しく領土に加えた。
台湾と日本本土は遠く離れているので、東京と同じ時間を当てはめると不都合が生じる。そこで、政府は1896年に「標準時ニ関スル件」を制定し、東経135度を基準にした時刻を「中央標準時」とし、それとは別に、東経120度の時刻を「西部標準時」とした。西部標準時には、台湾や八重山列島、宮古列島などが含まれていて、これらの地域では東京より1時間遅い時間帯で生活していた。

ということで、大日本帝國の時代には2つの標準時があったのだけど、1945年に日本がアメリカに降伏したことでその状態も消えた。日本が「大帝国」でなくなると同時に「西部標準時」もなくなり、ただの「日本」となって、東経135度の中央標準時だけが残った。

 

第二条(條)にまぼろしの「東經(経)百二十度」がある。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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