7月になって、日本では京都の祇園祭や博多の祇園山笠、テレビ東京の音楽祭など、各地で夏祭りが行われるようになった。「バスが迂回になってくそ迷惑」や「平日日中に大通りとめんなや!!!」といった地域住民の不満も、もう日本の夏の風物詩と言っていいだろう。
さて、友人に日本の大学で学んでいた30代のドイツ人男性がいる。彼は母国に戻り、今はブレーメンで働きながら日本語を勉強している。では、これから彼と話した内容をシェアしよう。
ーーこんにちは。元気?
こんにちは、元気だよ。最近、僕の愛すべき日本はどんな感じかな?
ーー本格的な夏の暑さに突入したよ。それでテレビでは毎日、「熱中症に気をつけてください」って呼びかけている。それでも、熱中症で倒れる人が毎日のようにいる。身近なところだと、あちこちで祭りが行われているから、夜になると「ドーン」「バーン」と花火の音が聞こえてくるようになった。
いいよね~、日本の夏祭り。来日する前、アニメで見てあこがれたから、「日本で絶対にやることリスト」に入れておいたんだ。浴衣と草履を買って、何回か祭りに参加したよ。
ーーそういえば、君は前に「屋台で食べ物を作っているのはヤクザだ」とか言って、勝手に怖がってなかった?
ああ、確かにそんなこともあったっけ。恥ずかしい限りだ。YouTube動画で言っていることをそのまま信じるなんて、現代社会では絶対にやってはいけないことなのに。
ーーたぶん使わないと思うけど、そういう行為を日本語で「ネットde真実」って言う。
ーー日本の屋台では、フランクフルトソーセージが定番の一品になっている。ドイツ人としては、あれこそ「日本で絶対にやることリスト」に入れるべきだと思うけど、食べたことある?
ないない。一度、ドイツ料理店で食事をしたら、「コレジャナイ」ってガッカリして、それ以来、日本でドイツの食べ物は避けていたからね。僕にとって、ソーセージはドイツのものが至高なんだよ。
日本の屋台なら、たこ焼きやかき氷とか、すでに「おいしい」って分かっているものがあるし、未知の食べ物に挑戦してもいい。あえて失敗を選ぶほど、僕もバカじゃない。
ーー見えてる地雷は踏むというのは自業自得というより、軽慮浅謀(けいりょせんぼう)だな。
※ここで、日本でソーセージを簡単に確認しておこう。
日本に広めたのは飯田 吉英(よしふさ)だ。
第一次世界大戦で日本軍はドイツ軍と交戦し、多数のドイツ兵を捕虜として日本に連れてきた。その中にはソーセージ職人がいて、彼らは収容所でせっせとソーセージを作っていた。その話を知った飯田は彼らからソーセージの作り方を学び、講習会を開いて精肉業者に説明し、日本にソーセージを普及させていく。
「捕虜」と言っても監視はゆるめで、彼らはわりと自由に行動することができた。解放された後もドイツには戻らず、ソーセージ職人として日本で働くことを選んだ元ドイツ捕虜もいたから、日本での生活は快適だったようだ。

ドイツ語でソーセージを「ヴルスト」と言う。日本人なら満足でも、ドイツ人なら、温めたとしてもきっと「ナニコレ?」となる。
ーードイツ人にとってのソウルフードというと、やっぱりソーセージになる? というか、「ソウルフード」って和製英語を知ってる? 日本語のソウルフードは郷土料理とか、特に愛着のある食べ物のことだね。アメリカ英語の「Soul food」とはまったく意味が違う。
知ってるさ。そうだね、ドイツ人のソウルフードは、ソーセージと言って過言じゃないだろうね。個人的には、「カリーヴルスト」がソウルフードだ。知ってるかい? 「カリーヴルスト」ってのは、ソーセージにケチャップとカレー粉をかけた食べ物で、ファストフードみたいに気軽に買える一品だ。
ーーそれは知ってる。カリーヴルストは「ドイツに行ったらやることリスト」に入っているから。今、ふと疑問に思ったんだけど、ソーセージとサラミって何が違う?
似て非なるものだね。サラミはイタリア発祥で、イタリア語の「塩(サーレ)」を語源にしている。どっちも豚の肉を腸に詰めて作ることでは同じでも、サラミは時間をかけて乾燥させるんだ。サラミはドライソーセージだから、普通のソーセージよりも長持ちする。
ドイツのおじいちゃん世代には、サラミのことを「硬いソーセージ」と呼ぶ人もいる。
ーーソーセージは日本の食文化の反対側にあると思う。日本では江戸時代まで、肉食をタブー視していて豚を家畜として飼っていなかったし、食べてもいなかった。まあ、それでも例外はあったけれど。とにかく、動物を解体して腸に肉を詰めるという狩猟民族みたいな発想は、農耕民族の日本人にはなかった。
どうかな、その見方は表面的じゃないかな。
ドイツでは、肉の良い部分を使うステーキなどに使って、残った肉をソーセージにすることもある。前に日本人の友人にこの話をしたら、「それは日本人が大切にしている“もったいない”の精神に通じる」って指摘されて、僕はハッと思ったね。食文化は違っても、ドイツ人と日本人は精神性で似ている部分があるんだよ。
※上の話をAIで確認してみた。すると、「厳選された肉をステーキやその他の料理に使い、残った肉をソーセージに使うというやり方は、ドイツでは一般的で伝統的な方法だ」という回答が返ってきた。彼の言っていることはきっと正しい。
「Yes, the practice of using choice cuts for steaks and other dishes while utilizing the remaining meat for sausage is a common and traditional approach in Germany.」
この方法によって、動物の肉のどの部位も無駄にすることなく、有効利用することができるという。
ーーなあ、ケニア出身のワンガリ・マータイって人を知ってる? 環境分野ではじめてノーベル賞を受賞した女性。
いや、初耳だ。誰だい、その人は?
ーー彼女は2005年に来日したとき、「もったいない」という言葉と概念を知って感動した。「もったいない」という言葉には、自然や物に対する敬意や愛が込められていて、それに相当する言葉は他に見つからなかったんだって。それで、マータイさんはその日本語を使って、世界中で「MOTTAINAI」キャンペーンをはじめた。
ソーセージみたいに、すべてを使い切ろうとする考え方は、同じではないとしても、確かに「モッタイナイ精神」に似ている。
だろ? ドイツ人も物をとても大事にするんだよ。
ーーでも、個人的には、アメリカ人の言う「ソウルフード」の考え方に近いと思った。あれは「黒人の伝統的な料理」といった意味で、特に南部の奴隷制度と深く結びついている。
白人のご主人さまが肉のおいしい部分を食べて、奴隷たちには価値の無い部分が与えられた。彼らはそれを骨まで食べられるように、カラッとではなくて、時間をかけてじっくりと揚げた。そうして出来たフライドチキンは黒人にとって「魂の食べ物」になる。
そんな歴史があるから、白人はフライドチキンを食べることはできても、それを「ソウルフード」なんて言ってはいけないらしい。
それは「もったいない」じゃなくて、「せつない」だね。そんな悲しい歴史はないし、みんなに平等だから、ドイツ人のソウルフードはソーセージでいいよ。

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