【白いバラ】ナチスに命がけで抵抗した、ドイツの若き英雄たち

1934年8月19日は、ドイツで国民投票がおこなわれ、約90%の同意を得て、アドルフ・ヒトラーがドイツの最高権力者として認められた日(1934 German head of state referendum)。
ドイツを乗っ取ったヒトラーは数年後、ポーランドに侵略して世界大戦を起こし、約600万人のユダヤ人を虐殺するホロコーストを実行。その後、連合国に追い詰められて自殺した。

ドイツは今もこの闇歴史を背負っている。
今年の5月5日、ドイツ連邦共和国大使館・総領事館はSNSに次のようなメッセージを公開した。

「ドイツは第二次世界大戦の勃発に対して責任を負っています。これは、国家社会主義のイデオロギーが引き起こした絶滅戦争でした。数百万もの人々が権利を奪われ、迫害され、そして殺害されたのです。暴力と恐怖、破壊は数年のうちにヨーロッパ全土に広がり、国境を越えて影響を及ぼしました。」

※1945年5月8日に、ナチス・ドイツが降伏して戦争が終わったから、2日前にこんな声明を発表したと思われる(ヨーロッパ戦勝記念日)。

 

西ドイツで発行された、「白いバラ」の40周年を記念する切手

 

数は少ないけれど、ヒトラーやナチスに従わなかったドイツ人もいる。
1936年、ハンブルクで開かれた海軍の進水式で、全員が腕をまっすぐ伸ばし、ナチス式の敬礼をしていたなか、ランドメッサーだけはそれを拒否して、腕を組んだままの姿でいた。

ユダヤ人女性を愛し、一人だけナチス式敬礼を拒否した漢(おとこ)

 

「◯」で囲まれた人物がランドメッサーと言われる。

 

反ナチ運動で有名な集団に「白いバラ」がある
ミュンヘンの大学生だったハンス・ショルと、その妹ゾフィーを中心に組織され、彼らは反ナチスを訴える数種類のビラを作成した。
「白いバラ」はそのビラで、ナチス政権の犯罪と抑圧を糾弾し、市民に抵抗を呼びかけたり、ユダヤ人の迫害と大量虐殺を非難したりした。
名前の由来ははっきり分からないが、純粋さと無垢さをもって悪と向き合うことを意図して、「白バラ」をシンボルにしたという説がある。
しかし、ゾフィーがミュンヘン大学でビラをまいているのが見つかり、兄のハンスとともに秘密警察の「ゲシュタポ」に捕まった。
彼らはすぐに裁判にかけられ、国家反逆罪で死刑判決を言い渡された。1943年2月22日、ゾフィーは21歳の若さで、ギロチンによって首を切断されて亡くなった。

処刑される直前、彼女はまるで誕生日を祝ってもらっているような、満面の笑みを浮かべた。その写真は世界中の人を感動させ、今でもネットで語り継がれている。

 

ゾフィー・ショル

 

世界を破壊する侵略戦争へと駆り立てたヒトラー政権に対して、若い人たちが命をかけて抵抗運動をおこなった。
戦後、ナチスに立ち向かった「白いバラ」は、ドイツ人にとって専制政治への反対を象徴する存在となり、個人的な権力や利益を無視して行動した点で称賛さた。

the White Rose came to represent opposition to tyranny in the German psyche and was lauded for acting without interest in personal power or self-aggrandizement.

White Rose

 

彼らはドイツで広く尊敬されていて、学校や道、その他さまざまな場所にメンバーを記念した名前が付けられた。
ヨーロッパ全土に暴力と恐怖、破壊をもたらした戦争について、今でも責任を負っているドイツ人にとって、「白いバラ」の存在は希望であり、救いだ。

 

ミュンヘンにある「白バラ運動」の記念碑

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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