ことし5月、大阪・関西万博を盛り上げるため、韓国から261年ぶりに「朝鮮通信使」がやってきた。
朝鮮通信使は、室町時代に朝鮮半島にあった高麗王朝が足利義満に対し、「信(よしみ)を通わす使者」として派遣したのがはじまりだ。その後、朝鮮半島で王朝が高麗から李氏朝鮮に変わっても、通信使は日本へ派遣されつづけた。
しかし、豊臣秀吉が朝鮮出兵(韓国では壬辰・丁酉倭乱)をおこなうと、両国の関係は断絶し、通信使の派遣は中断される。江戸時代になると、朝鮮政府は再び通信使を日本へ派遣するようになった。
広い意味では、高麗時代からの使節も含めて「朝鮮通信使」と呼ばれるが、一般的には江戸時代に朝鮮王朝が12回派遣した外交使節団を指す。
ちなみに韓国では、朝鮮半島に攻め込んだ豊臣秀吉は悪魔のように嫌われ、豊臣家を滅ぼした徳川家康の人気が高い。10年ほど前、朴槿恵(パク・クネ)元大統領が獄中で、山岡荘八の小説『徳川家康』を読んでいたことが話題になった。
朝鮮通信使の一行を乗せた船が最後に大坂を訪れたのは1764年。そして時空を超え、2025年に復元された朝鮮通信使船が「大阪」にやってきた
ここで注意したいのは、大坂と大阪は違うということ。明治時代に大阪府が設置されたことで「大阪」が正式名称となり、それまでは「大阪」と表記されていたのだ。
【日本人の発想】熊本の由来と、「大坂」が「大阪」になったワケ
「名称へのこだわり」は韓国にもある。ハンギョレ新聞は、高麗大学の教授のこんな寄稿を掲載した(2025-08-26)。
日本式の「朝鮮通信使」ではなく史料に基づく「通信使」を使用すべき=韓国
朝鮮時代、朝鮮の国王が日本の将軍に派遣した外交使節は、単に「通信使」と呼ばれていた。朝鮮通信使という呼び方は日本目線の言葉で、韓国人にとってあまり気分が良くないらしい。教授はこう指摘する。
「朝鮮通信使という表現は、この使節団の歴史的意味を日本中心に解釈させることになりうる。」
名称にこだわることは小さなことに思えるかもしれない。しかし、「歴史的真実を正しく示すこと」こそが歴史を学び、「未来を正しくデザインする第一歩」になるだろうと教授は主張する。
そうは言われても、「通信使」だけでは、現代の日本人には何のことかイメージしにくい。どこの国が派遣したのか分からず、日本が外国に派遣したものと誤解するかもしれない。
日韓の歴史認識の違いや韓国の葛藤を考えれば、「日本中心」の言葉を使いたくないという気持ちは理解できる。しかし、韓国の言葉を使うことが「歴史的真実」を示すという考え方こそ、「自国中心」では?

朝鮮通信使が江戸城に入り、陶器や虎の皮などの贈り物を準備している。
江戸時代、幕府が朝鮮を“格下の国”と見なしていたことを考えれば、「朝鮮通信使」という言葉はかなり中立的だ。
徳川幕府は使節が来日し、将軍にたくさんの贈り物をしたことを「貢物を献上する」と解釈し、「来聘」という表現を使った。通信使は「朝鮮来聘使」「来聘使」「朝鮮聘礼使」と書かれ、一般的にもそう呼ばれていた。
「来聘」(らいへい)とは、外国の使節が礼物を持って訪問することを意味する。つまり、朝鮮国王の貢物を献上するために外交使節が来日したと、幕府は「上から目線」で見ていたのだ。
21世紀の現在、当時の日本の正式名称「朝鮮聘礼使(へいれいし)」を使うことは、韓国に対して失礼になる。かといって「通信使」だけでは意味があいまいで分かりにくい。
ハンギョレ新聞の記事に対する「ヤフコメ」をAIが要約すると、次のようになる。
・朝鮮通信使という呼称は、単にどこから来た使節かを明確にするためのものであり、特に問題視する必要はないと考えています。
・歴史的な呼称や認識は、政治的な道具として利用されるべきではなく、正しい歴史を広く国民に教えることが重要だという意見もあります。
豊臣秀吉の朝鮮出兵を、韓国が自国の歴史認識にもとづいて「朝鮮侵略」と呼ぶことは問題ない。しかし、日韓が同時に使う用語は別々にできない。
となると、やはり最適解は「朝鮮通信使」だろう。
関西万博のために261年ぶりに来日した朝鮮通信使に、日本は歓迎ムードだが、韓国では「この使節団の歴史的意味を日本中心に解釈させる」と不満の声が上がっている。
日韓が歴史を学び、未来を正しくデザインすることは本当にむずかしい。

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