【尊王思想】強大な武力をもっていたが、正統性がなかった徳川幕府

宝暦(ほうれき)は江戸時代の元号で、1751年から1764年までの期間をさす。その途中、1758年8月27日に起きたのが「宝暦事件」だ。
誰も逆らえないほど強い武力で日本を支配していた将軍にも、“アキレス腱”があった。幕府にとって最大レベル弱点は「正統性のなさ」だった。

今の日本では、主権を持つ国民の代表が集まって政治をおこなっている。民主主義社会でもっとも大切なのは、国民に選ばれること。
正しい方法で政治の権力を手に入れた人には正統性があるから、国民はその統治を受け入れられる。民意を得た政権は安定している。
もし、軍隊がクーデターを起こして政権を奪っても、そんな軍事政権には正統性がないから、国民はその支配を受け入れない。今、内戦状態にあるミャンマーを見ればそれが分かる。

しかし江戸時代まで、日本では将軍をトップとして政治がおこなわれていた。将軍になるのに民意は必要なく、もっとも大切なのは「血筋」だった。徳川家の血を引く者の中から次の将軍が選ばれた。
日本の将軍は不思議な存在だ。身分は天皇より下なのに、実際には天皇以上の力を持ち、日本の支配者として君臨していた。朝廷と幕府の「二重統治」は日本だけのもので、世界の歴史でも例がない。
「幕府」は中国から伝わった言葉だが、中国の歴史で、日本のような幕府(武家政権)は存在しなかった。中国では、強い者が皇帝を倒して自分が新しい皇帝になる実力主義だったため、こうした奇妙な逆転現象は起こらなかった。

 

日本には昔から、皇室を神聖なものとして尊敬する「尊王思想」があった。その根拠は神話にあり、天皇は日本の最高神・アマテラス(天照大神)の子孫とされ、神と同一視されていた。
後醍醐天皇に仕えた歴史家の北畠親房は、『神皇正統記』でこう述べている。

日神すなわち天照大神がながくその伝統を伝えて君臨している。わが国だけにこのことであって他国にはこのような例はない。それゆえわが国を神国というのである

「慈円 北畠親房 日本の名著9 (中央公論社)」

 

尊王思想では、「日本の本当の統治者は天皇である」という結論につながりやすい。すると、天皇から権力を奪った幕府は都合が悪くなる。
もし、民衆が「幕府は不当な方法で権力を手に入れた“不法政権”で、本来の政権は天皇を中心とする朝廷にある」と考えるようになれば、幕府は危機におちいる。
幕府の弱点は正統性が弱いことにある。天照大神の伝統を伝える皇室には、「正しさ」では絶対に勝てない。
尊王思想は、徳川幕府にとって倒幕を誘発しかねない危険な思想だった。

 

国学者で神道家の竹内式部(たけのうち しきぶ)は御所に出入りし、公家や天皇に尊王思想を教えていた。幕府はこれに激怒し、1759年に式部を京都から追放し、公家も処罰した。これが宝暦事件だ。
式部の影響をうけて、公家の中には徳川家重から将軍職を取り上げ、江戸から追放する計画を考える者さえいたのだから、幕府がその動きを断つのは当然だった。

藤井直明(なおあき)も式部と一緒に公家たちに尊王思想を教えていた。式部が捕まると、直明は京都を離れ、思想家の山県大弐の家に身を寄せた。そこで江戸を攻略する方法を説いたが、2人は幕府に捕まり処刑された(明和事件)。
宝暦事件と明和事件の本質は、幕府が尊王思想をおそれ、弾圧したことにある。

 

将軍は本来、天皇の家臣なのに、政治の権力を奪って幕府をつくり、日本を支配してきた。将軍は忠臣の立場を裏切った簒臣(さんしん)であり、それを倒して政権を天皇に戻すことが「正義」となるーー。

幕府は日本最強の武力を持っていたから、反乱を鎮圧することはできても、正統性がなかったため、人びとに「日本を統治するのは天皇よりも、将軍のほうが正しい」と納得させることはできなかった。

だから、宝暦事件と明和事件のあとも、尊王思想は残りつづけた。
幕末、ペリーが開国を迫ると幕府は動揺し権威をうしなう。このアメリカの「外圧」が全国の武士を刺激し、尊王思想が燃え上がった。その結果、尊王攘夷運動や倒幕運動につながって、鎌倉時代からつづいた武家政権はついに崩壊し、将軍は政権を天皇に返上する事態に追い込まれた(大政奉還)。
「日神すなわち天照大神がながくその伝統を伝えて君臨している。それゆえわが国を神国というのである」という正統性に、徳川幕府は勝てなかった。

 

 

世界の中の日本 目次

外国人から見た不思議の国・日本 「目次」

幕末、浦賀に現れたペリーが日本で感じ、考えたこと

インドや中国ほどの歴史はないけど、日本は世界最古の国

欧米人と中国人が見た「幕末の奇跡」大政奉還と王政復古

日本の天皇と英国の国王:国民との距離の違い・そのワケ

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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