【日独の歴史】皇帝(将軍)が権威を失い、諸侯(大名)が自立した

本日、9月25日は、1555年に神聖ローマ帝国(ドイツ)でアウクスブルクの和議が成立した日。なので今回は、ドイツと日本の歴史における「同じ流れ」について書いていこう。中央が力を失った結果、地方の諸侯(大名)が自立していったという話だ。
諸侯とは、主君である皇帝や王から一定の領域を支配することを認められた臣下(貴族)のこと。日本で言うなら、主君である将軍から地方の支配を認められた大名になる。

 

1517年、神聖ローマ帝国でルターがローマ・カトリック教会のやり方に反発し、宗教改革をおこなって新しいキリスト教の流派、プロテスタントが爆誕。
熱心なカトリック教徒だった皇帝カール5世はルターに激怒し、帝国内での法的地位を剥奪した(帝国アハト刑)。これによって、誰がルターを殺しても罪に問われないことになる。
命の危険を感じたルターは、有力な諸侯で彼の支持者だったザクセン選帝侯フリードリヒ3世の保護を受け、その領内で暮らすことになった。

その後、神聖ローマ帝国内はカトリックとプロテスタントに分裂して争い、1524年には農民戦争が起きるなど、多くの人が亡くなった。そんな対立を終わらせるため、1555年に皇帝と諸侯がアウグスブルクの議会で話し合いをして、プロテスタント(ルター派)の宗教が認められ、武力闘争は(一応)終結した。

この宗教和議によって、神聖ローマ帝国内のそれぞれの諸侯がカトリックかプロテスタントを選ぶことができるようになり、諸侯の信仰がその領域に住む住民の信仰となった。たとえば、諸侯Aがカトリックを選べば、その領域の住民全員がカトリックを信仰することになる。その結果、「一つの支配あるところ、一つの宗教がある(Cuius regio, eius religio)」という原則が確立された(信仰属地主義)。
当時、神聖ローマ帝国は東から迫ってくるオスマン帝国に脅威を感じていため、カール5世はルター派の諸侯に譲歩し、宗教をめぐる争いや混乱を終わらせようとしたのだ。

英語版ウィキペディアによると、アウグスブルクの和議(Peace of Augsburg)によって、神聖ローマ帝国内の諸侯は領域内で宗教をも支配することになり、最終的には領土に対する主権を再確認することになった。

アウクスブルクの和議の意義は、

「ヨーロッパにおける主権国家体制への第一歩」
(the first step on the road toward a European system of sovereign states)

となったことだ。

神聖ローマ帝国内の諸侯は皇帝の臣下という立場ではあったが、大きな権力を手に入れ、自立していくようになる。もっとも、カール5世の意思に逆らってルターを保護したフリードリヒ3世のように、もともと独立志向の強い諸侯もいた。
アウグスブルクの和議で妥協したことで、皇帝の権威は低下し、それと反比例するように、領域内の教会を支配下においた諸侯はより大きな力を得て、自立していった。

 

以上の流れを日本の歴史にたとえるなら、室町時代の後半、将軍の権威が低下し、各地の守護大名が力をつけて戦国大名へと変わったことと重なる。
神聖ローマ帝国の場合、諸侯に対する皇帝カール5世の影響力が弱まった要因は、オスマン帝国の圧力だった。いっぽう、室町幕府の場合は、1467年に応仁の乱が起きたことにある。『応仁記』に「天下は破れば破れよ。世間は滅びば滅びよ」と書かれているように、当時の日本は乱れに乱れ、将軍の権威は地方に届かなくなっていた。

そんな実力主義の乱世で、守護大名はより大きな権力を得て独立性を高め、戦国大名になっていく。

※「守護大名→戦国大名」というパターンもあれば、身分の低い者が「下克上」で戦国大名に成り上がったパターンもある。くわしいことは「守護大名」や「戦国大名」をクリックして確認してくれ。

 

ということで、日本とドイツの歴史では、皇帝や将軍が力を失い、相対的に地方の諸侯や大名が支配力を得て独立状態になったことでは共通している。しかし、日本ではその後、織田信長が室町幕府を滅ぼし、豊臣秀吉が天下統一を果たした。神聖ローマ帝国では、諸侯はおもに自分の領地を治めることに専念し、戦国時代のような乱世にはならなかった。
日本には、ドイツのような「共存」という道はなかったのだろうか。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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