10月15日は1925年、日本が統治していた朝鮮半島の中心部・京城(現ソウル)で朝鮮神宮の鎮座祭がおこなわれた日。
神社はざっくり言えば「神様の家」だから、建物をつくっただけで主(あるじ)がいなかったら無意味。祭神がそこに定まることで本当の意味での完成となり、それを祝う鎮座祭では、楽器を演奏したり舞を披露されたりする。
朝鮮神宮の祭神は天照大神と明治天皇に決められたが、それまでには議論があった。神道には地域性を重視する考え方があるため、朝鮮では朝鮮の神や偉人を祭神にし、神社も現地の様式で建てるべきだという意見があった。具体的には、朝鮮神宮の祭神は檀君(だんくん:朝鮮の始祖神)とし、建物も朝鮮の伝統的な建造物にするというもの。
しかし、政府はその案をしりぞけ、天照大神と明治天皇を朝鮮神宮の祭にすることにした。

朝鮮神宮

当時の一般的な日本人は、朝鮮神宮についてどう思っていたのか?
1929年(昭和4年)、日本政府が支援して、本土から19歳から78歳までの民間人約200人が朝鮮と満洲への視察旅行に参加した。その記録が以下に残されている。
『 昭和四年の日本人は、朝鮮満洲に何を思ったか? 日本初の民間人団体旅行の紀行文 鮮満十二日 鮮満視察団紀念誌 を原文で読む。(佐藤聡)』
それを読むと、ある日本人は、発展して近代都市となった京城を見てまわり、内地の大都会にいるような印象を受けたという。また、朝鮮神宮を参拝し、こんな感想を記している。
「市中の小山の上に御祀りしてある朝鮮測宮に參拜した時は、伊勢の大廟と、明治神宮に詣つたと同じ感に打たれた。是れは日本人は、たれでも同じ事であろう、あらねばならぬ筈であると思ふ。」
朝鮮半島にあっても、天照大神と明治天皇を祭神とする日本の伝統的な様式で建てられた神社であれば、日本人なら誰でも、明治神宮や伊勢神宮を参拝するのと同じ気持ちになる。
だからこそ、韓国の人々には忌み嫌われた。戦後、神宮は破壊され、その跡地には独立運動家・安重根の記念館が建てられた。もし、朝鮮神宮に檀君が祀られていたら、戦後の韓国はそれをどうしていたのだろう?

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