【主権の行方】戦後、日本が米国に占領されても支配されなかったわけ

外国人に日本がどんな国かを説明する場合、下の年表がとても役に立つ。

 

 

長い歴史の中で、異民族に支配されたり、革命が起きて王朝が交代したりすることは、世界中の国であった。日本という異端児を除けば。
日本だけは一度も外部の支配を受けることなく、内側から革命も起きなかった。年表の赤いラインが途切れることなく、古代から現在まで続いていることからもそれが分かる。
だから、皇室はギネスに世界最古の王朝として認められ、継続している国としては日本が世界で最も長い歴史を誇っている。
これまでインド人、アメリカ人、ニュージーランド人、トルコ人、アフリカ人などにこの年表を見せて説明すると、日本という国の特徴を理解してくれた。

でも、こんな疑問をぶつける外国人もいた。

「ちょっと待ってくれ、日本は戦争に負けてアメリカに支配されていなかったか?」

こんな質問の答えは、イエスかノーのどっちかが正解なのだろうか?

 

昭和天皇と並んで立つマッカーサー

 

1945年8月15日、日本政府はポツダム宣言を受け入れ、降伏することを発表して戦争は終わり、戦後が始まった(連合国軍占領下の日本)。
日本は連合国に占領されることになり、8月30日、総司令官としてアメリカ陸軍の元帥ダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に姿を現した。日本の実質的な最高実力者となる男だ。
連合国総司令部(GHQ)が組織された目的は、名目的にはポツダム宣言の執行にあり、日本を占領支配するためではなかった。
マッカーサーをトップとするGHQは日本の陸軍と海軍を解体し、戦犯とされた人物を逮捕した。彼らの目的は、日本をもう二度と戦争をさせない国に生まれ変わらせることにある。そのため、1945年のきょう10月22日、GHQは軍国主義的・超国家主義的思想の教育や軍事教育を禁止する指令を出した。

GHQは当初、日本に軍政を敷き、司法・立法・行政の三権を日本政府から奪い、英語を公用語にするつもりだった。それを知った外相の重光葵(しげみつ まもる)はすぐに「日本の主権を認めたポツダム宣言を逸脱する」とマッカーサーに抗議し、占領軍による軍政を撤回させることに成功(重光 葵)。
GHQは自分たちの直接統治ではなく、日本政府を通した間接統治する方法を採用した。
GHQによる直接統治とは、実質的には日本が植民地になるようなもので、もしこれが実現していたら、皇室がどうなっていたか分からない。
重光が全身全霊でマッカーサーを説得した理由がわかる。

 

アメリカ戦艦「ミズーリ」で降伏文書に調印する重光葵(1945年9月2日)。

 

こうして日本は、アメリカ(GHQ)をラスボスとして、日本政府が統治するという形式をとり、1952年まで連合国の占領下にあった。
その7年の間、日本の主権は停止され、1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効したことをもって、日本の主権が回復した。それを記念し、現在4月28日は「主権回復の日」となっている。
つまり、日本は降伏して連合国に占領されたが、主権を奪われることはなく、日本政府も存在して(形式的に)日本を統治していたのだ。だから、日本が外国の支配を受けることはなく、「世界最古の国」という言い方も正しい。重光の説得が失敗していたら、日本が日本ではなくなっていたから、彼は本当にいい仕事をした。

 

 

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アメリカ人の歴史認識:悪いのは原爆投下より日系人の強制収容

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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