在日南アフリカ人の話 社会や歴史の特徴・日本との違い

1997年にサッカー日本代表が初めてW杯出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」は有名だけど、2015年の「ブライトンの奇跡」を知っている人は少ない。この年に行われたラグビーW杯で、日本は格上の南アフリカを初めて撃破した。その「ブライトンの奇跡」から10年後、来週の11月1日に日本は再び南アフリカと対戦する。
南アフリカ(以下、南ア)がラグビーの強豪国である理由はイギリスと関係している。およそ1815年から1910年まで、イギリスによって植民地支配され、その間にラグビーが伝えられ、南アで発展した。日本のラグビーとは歴史や伝統が違うのだ。

さて、今回は南アの基本スペックを確認してから、3年前に日本にやって来て、現在は貿易会社で働いている南アフリカ人から聞いた歴史や社会の話を書いていこう。
日本と南アの違いはスポーツ以外にも山盛りある。

 

面積:122万平方キロメートル(日本の約3.2倍)
人口:6,203万人(2022年)
首都:プレトリア
民族:黒人(81%)、白人(7.3%)、カラード(混血)(8.2%)、アジア系(2.7%)(2022年)
言語:英語、アフリカーンス語、バンツー諸語(ズールー語、ソト語ほか)の合計12が公用語
宗教:キリスト教(人口の約85%)、伝統的なアフリカの信仰、ヒンズー教、イスラム教等(2022年)

ソース:外務省HP「南アフリカ共和国(Republic of South Africa)基礎データ

 

あるアフリカ人の食事

 

ーー最近、南アに住んでいる日本人がSNSに、ヒンドゥー教の祭り「ディワリ」で住民が花火を打ち上げている動画をアップしていた。南アにインド系の住民は多いの?

イグザクトリー。イギリスの植民地時代、インドからたくさんの労働者が南アにやってきて、今では彼らの存在はまったく珍しくない。ガンディーも南アにいたのを知ってるか? ある日、彼は人種差別を受けたことで「民族」を強く意識するようになって、残りの人生をインド独立のために捧げたんだ。

ーーシャカは菩提樹の下で悟りを開いて、ガンディーは南アで覚醒したのか。

南ア(特にケープタウン)とシンガポールは地理や歴史で共通点がある。どちらも大陸の「突き出たところ」にあって、ヨーロッパ人にとってアジア貿易の重要な拠点となっていた。南アもシンガポールもイギリスの植民地になって、今では多くのインド系住民が住んでいる。

ーーそんな国から日本に来て、どんな違いを感じた?

すぐに分かる違いは「人間の種類」だ。南アには黒人、白人、アジア系、それとそれらの混血の人たちがいる。さらに黒人にはズールー人、コサ人、ツワナ人などたくさんの部族があり、白人にもオランダ系(アフリカーナー)とイギリス系がいる。

ーー公用語が12もあるわけだ。国民の95%以上が日本人で、全国どこへ行っても同じ人間がいて、同じ言葉を話している日本の社会とはまったく違う。公用語は1つで十分。

※じつは日本に公用語はない。といっても法的に定められた公用語がないだけで、実質的には日本語が公用語になっている。

 

インドも多様性の洪水で、お札には17の言語がある。

【インドの言語】お札には17の文字・カースト差別で言葉も消失

 

ーー島国の日本は主体的に「鎖国」をして、外部からの人の流入を止めることができた。でも、南アにはそんな選択は不可能で、西や東からさまざまな人間がやってきた。

そうだな、南アほど複雑な歴史を持つ国は珍しい。はるか昔、アフリカのさまざまな地域から人びとが移住して、15世紀にはヨーロッパの白人が船でやってきて先住民の黒人と土地や資源をめぐって争った。19世紀末には、イギリス系とオランダ系の白人同士でも戦った(ボーア戦争)。

ーー日本は同質性の高い国で、「和をもって尊しとなす」が大切にされてきた。南アでそれは難しい?

とても難しい。歴史的に南アにはいろんな人間がやってきて、敵対して戦ったり、友人になって仲良く暮らしたりしながら現在まで続いてきた。今は表面的には大きな混乱は無くなったが、社会の内部では民族や階層などで人々は分裂している。「まとまれない」というのがアフリカ人の大きな弱点だ。
南アの歴史やオーストラリアと重なる。後からやってきた白人が先住民(アボリジニ)を迫害し、土地を奪った。
ところで、日本にもそんな歴史はあるのか?外部からやってきた人間と先住民と戦った歴史が。というか、そもそも日本の先住民って誰なんだ?

 

日本は一度も滅亡したり、革命が起きて王朝が変わったりしたことがない。そんな国は日本だけだから、同質性がとても高く、外国人との交流に慣れていない。

 

※南アは1948年〜1994年まで、「アパルトヘイト」と呼ばれる人種隔離政策をとっていた。これは、異なる言葉や伝統をもつ人たちが同じ地域で生活することで、それぞれ独自に発展するという理論だったが、実際には、支配層だった白人の経済的特権を維持することが目的だった。
人種ごとに住む地域が決められ、白人ではない人間は白人が住むエリアに立ち入ることが禁止された。白人以外には選挙権がなかったなど、アパルトヘイトは差別的な内容だった。

 

ーーアパルトヘイトって、具体的にどんな政策だった? って日本人からよく聞かれない?

それはたまに。日本では南アというと、アパルトヘイトが知られているらしいな。でも、これは南アが独自に生み出した制度ではなくて、始まりは植民地時代にイギリス人がしていた「分割統治」にあるんだ。
独立した後も、政府はこのイギリスの負の遺産を受け継いで、人種や部族などで国民をバラバラにした。人々がまとまって政府に反抗できないようにするためにね。

ーー日本のネットでは、「アパルトヘイトが廃止されて白人がいなくなったことで、国内の治安は悪化して、道路や上下水道などのインフラも劣悪になった」という情報がよくある。これって本当

南アについてそんなイメージを持つ人は、日本にも外国にもいるけれど、実際は違う。確かにアパルトヘイト政策が終わった後、何十万人、百万人以上の白人が国外へ出ていった。でも、黒人の割合が増えたことで社会が貧しくなって犯罪が増加したというのは差別的な偏見だ。

ーーじゃ、社会が「劣化」した原因は?

そのひとつは、教育を受けた人たちが海外に出て行ったこと。頭脳流出は国家にとって大きな損害だった。でも、最も大きな原因は政治腐敗にある。政治家や役人がワイロをもらったり、予算を「中抜き」したりすることが、南アの発展を妨げる最大の問題なんだ。
たとえば、道路を建設するための予算が1億円あったとして、途中でいろんな人がそれを盗むから、実際に工事に使えるお金は1千万円しか残らない。こんな中抜きが常識的にあるから、国民の生活は豊かにならない。

ーー南ア国民は貧しいわけではなく、一部の上級国民がとんでもない金持ちになって、多くの国民が貧しいままでいると。

そうだ。その社会構造は、イギリスの植民地時代と変わっていない。日本は全体的に、平均的に発展しているから中流階級が多い。南アも早くそんな平等な国になれることを願っているよ。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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