「てるみくらぶ」被害者とパリにいた徳川昭武が似てる件。

 

今年3月に旅行会社の「てるみくらぶ」が倒産した。

海外旅行歴は20年以上あって、前から「てるみくらぶ」のことは知っていた。
ここのツアーで韓国に行ったこともある。
新聞やネットでけっこう宣伝をしていたし知名度もあったから、この旅行会社が破産したと知ったときはかなりのサプライズ。

「てるみくらぶ」のツアーで海外にいたときに、この倒産を知った人も多かった。
現地で「帰りの飛行機のチケットが確保されてない!」ということを知って、その場で買い直さなければいけなかった人は数知れず。
宿泊予定のホテルから「料金が支払われていないから、ここで払ってくれ」と要求された人も続出。

 

外国滞在中に、いきなりすべてのサポートがなくなってしまった。
「日本へ帰りたかったら、各自自分の力でがんばれ」というひどい状態に置かれてしまう。

「各員一層奮励努力せよ」って日露戦争かよ。

この”放置プレー”の被害にあった人がネットで怒りを爆発させていた。

 

 

そんなことを思い出したのは、こんなNHKニュース(2017年9月8日)を見たから。

旅行会社の「てるみくらぶ」が経営破綻し、利用客が前払いした旅行代金のほとんどが返済されない事態を受けて、観光庁は代金を弁済する制度を拡充して利用者の保護を強化する対策をまとめました。

「てるみくらぶ」破綻受け対策 弁済金額増加など

 

「てるみくらぶ」にツアー代金を支払った人たちは、結局それを取り戻すことができていない。
数十万円支払って数千円返って来た、というていどらしい。

 

でも今の制度ではそうした人たちを救済することはできない。
被害者の中には「国がオレたちを救済するべきだ!」とうったえる人もいたけど、それはムリだろう。

旅行会社の突然の倒産で被害を受けたのはたしかに気の毒だ。
でも、税金でそれを穴埋めするというのは国民の理解を得られない。

「被害者が被害者様になったぜ」なんて言われるだけ。

 

てるみくらぶの話はこれでおしまい。
ここからは日本の歴史のお話。

かなり強引だけど、この「てるみくらぶの倒産を海外で知った!」という人と同じような衝撃を受けた人を日本の歴史で探すとしたら、だれがいるだろう?

ボクの頭に浮かんだのは、「徳川 昭武(とくがわ あきたけ)」という人。

徳川 昭武

1853~1910 水戸藩主。
徳川斉昭の18男で江戸生まれ。1867年、兄の将軍慶喜の名代としてパリ万国博覧会に派遣される。そのまま留学し、翌年に帰国。

「日本史用語集 (山川出版)」

この人が経験したことは、てるみくらぶの被害者と似ている。

 

 

徳川昭武は「最後の将軍」徳川慶喜(よしのぶ)の弟。
慶応2年(1867年)に「日本代表として将軍の代わりに、パリ万国博覧会に行って来い」と兄に言われてヨーロッパへ向かう。

このとき慶喜は、弟の昭武に自分の後を継がせようと考えていた。
つまり昭武を第16代徳川将軍にしようとしていた。

「パリに行って来い!」と言ったのにはその目的もある。
戸定歴史館のホームページから。

自分の後継者にと昭武のことを見込んでいた慶喜は、昭武が次代の指導者としてふさわしい最新の知識をパリで身に付けてくることを期待していたのです。

松戸に住んだ幻の将軍徳川昭武

そのヨーロッパ滞在中に、兄ちゃんの慶喜が大政奉還(1867年)をしてしまう。
慶喜は「政治の権利を天皇にお返しします」と二条城で申し出る。

 

大政奉還図(ウィキペディア)

 

徳川幕府はこれにて終了。
閉店ガラガラ。
同時に、1192年(1185年)の鎌倉幕府成立から続いた「武士による政治」が終わったことになる。

で、そのときパリにいた昭武(あきたけ)は?

 

徳川昭武(1867年)
パリ万博に行った年

 

日本でそんなことが起きていたなんて、まったく知らなかった。

徳川昭武が大政奉還のことを知ったのは翌年1868年。

昭武たち一行をサポートしていたのは徳川幕府だ。
気づいたときには、幕府がなくなっていた。

徳川幕府が崩壊したのだ。
「てるみくらぶの倒産」というレベルではない。

海外旅行中に、日本で革命が起きて政府がなくなってしまうようなもの。
日本の歴史の中で、こんなドラマチックな経験をしたのは昭武たちだけ。

江戸時代のはじめ、海外にいたら幕府が突然「鎖国」を宣言したため、日本に帰って来れなくなった気の毒な人たちはいるけど。

「目が点」どころではない。
昭武(あきたけ)たちもに青天の霹靂だったはず。

 

政府から「日本に戻って来い」という命令を受けた徳川昭武は帰国後、水戸藩主となっている。
まずまず幸せなその後を迎えたと思う。

でも、てるみくらぶの被害者はどうしようもない。
現在の制度では救済方法がないのだから、泣き寝入りするしかないだろう。

 

おまけ

パリ万博で世界にデビューした日本はヨーロッパに衝撃を与えた!
その衝撃を「ジャポニズム」という。

日本は1867年のパリ万国博に初参加し、葛飾北斎の浮世絵などを出品。フランスでジャポニズムが起こる

「日本史用語集 (山川出版)」

くわしくはこの記事を↓

日本、世界にデビュー!江戸幕府、パリ万博参加・ジャポニズム④

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。