2月10日は、1940年に歴史学者の津田左右吉(そうきち)が発表した『古事記および日本書紀の研究』や『神代史の研究』が「皇室を冒とくしている! ケシカラン」と国内で大きな怒りを呼び、発禁となった日。
ということで今回は、日本と西洋であった“神聖に対する冒とく”について書いていこう。
2025年2月の時点で、日本国内にいる最高齢の人物は岐阜県に住む115歳の女性で、日露戦争が終わって4年後の 1909年に生まれた。
これはとてもスゴいのだけれど、キリスト教の聖書にはとてつもない人が何人も出てくる。たとえば、神が最初につくった人間のアダムは 930歳まで生きて、その 10代あとのノアは 950歳で亡くなった。その後、神が人間の寿命を 120歳に設定したという。
人間が 900年以上生きたというのは、ラノベやアニメの異世界転生レベルのぶっ飛んだ話で、現実世界ではありえない。しかし、キリスト教徒にとって、聖書にある話は神話ではなくて事実だ。信者でない人なら、「そんなわけあるか!」と自由にツッコむことができるが、信者が聖書の内容を疑ってはいけない。
日本語のサイトを見ても、教会のウェブサイトでは、アダムが 930歳まで生きたということを事実とみなし、その理由を説明しているところもある。
地球が太陽の周りをグルグル回っているという地動説は、現代の世界では当然の常識。しかし、キリスト教の価値観に支配されていた数百年前のヨーロッパでは、地球が宇宙の中心にあり、太陽などがその周りを回っているという天動説が正解だった。それがカトリック教会の見解で、それと違う説を唱えた者は「神を冒とくした罪」に問われた。
ポーランドの天文学者コペルニクス(1473年 – 1543年)が地動説を唱えた本を出すと、カトリック教会は教義に反するという理由で、この本を禁書目録に載せた(=発禁処分にした)。同じく地動説を唱えたジョルダーノ=ブルーノは 1600年に処刑され、ガリレオは裁判で有罪判決を受けた。
当時のカトリックの考え方では、彼らの主張は神の権威をおとしめることになるから、絶対に許されない。神の名のもとに、そんな邪説はこの世から消し去らないといけない。
ノアが 950歳で死んだという話について、「謎の光で石化されて、数百年後にそれが解除されたとか?」なんてジョークを言うと、当時のヨーロッパなら異端の罪に問われ、火あぶりにされたかもしれない。
カトリック教会が地動説を受け入れたのは 21世紀になってから。2008年にローマ法王ベネディクト 16世によって、地動説が正式に認められた。
地動説は一例で、ヨーロッパでは聖書の内容について批判したり否定したりすると、神を冒とくした罪に問われ、最悪の場合、殺される時代が続いた。
しかし、17~18世紀に、ヨーロッパで理性と科学を尊重し、社会の進歩や人間性の解放を目指す啓蒙主義が広まると、人びとはキリスト教の価値観や世界観から抜け出していく。
1753年、フランスの医学者アストリュクが匿名で、聖書のモーセ五書について、内容に矛盾があることなどから、これはモーセが書いたのではなく、それぞれ別の時代に作られた文書を誰かがつなぎ合わせて完成させたと唱えた。
それは、モーセが1人ですべて書いたという、それまでのキリスト教の伝統的な説を否定したことになるから、100年前だったら彼は抹殺されていたと思う。18世紀中ごろでも、これを発表するには匿名にしなければならなかったのだ。
科学や理性を重視し、聖書の内容を客観的、正確に理解しようとする動きを「聖書批評」という。アストルクの研究はその始まりとなったため、彼は「聖書批評の父」と呼ばれる。(文書仮説)
*聖書批評の起源については、カトリックの聖書解釈に反論した宗教改革にまでさかのぼるとか、スピノザ(1632–1677)から始まったとか諸説ある。
もちろん、カトリック側はこうした動きを認めない。
1871年におこなわれた第1バチカン公会議では、聖書批判を否定し、聖書は神によって書かれたものであり、誤りのないものであることを再確認した。
the dogmatic constitution Dei Filius (“Son of God”), approved by the First Vatican Council in 1871, rejected biblical criticism, reaffirming that the Bible was written by God and that it was inerrant.
聖書によると、人類の歴史は6000年ほど前に始まったことになっている。しかし、さまざまな調査や研究によって、人類はそのはるか以前、700万〜600万年前にアフリカで誕生したと考えられている。
聖書の内容に科学的の光を当てると、おかしいところは多々あるけれど、それにツッコミを入れられるようになったのは、わりと最近になってからだ。(聖書への批判)
科学的に正しい主張をしても、キリスト教の考え方に反する内容であれば、神を冒とくする「犯罪行為」になってしまう。現代の日本のネットでいう「事実陳列罪」に問われることになる。
カトリック教会が支配していたヨーロッパと違って、日本は宗教の影響が薄いから、そんな歴史はなかった、わけでもない。
明治時代になると、中世の西洋におけるカトリックのように、神道が“国教”にされると、天皇を崇拝する空気が濃くなっていく。
そんななか、歴史研究者だった津田左右吉(そうきち)が実証主義の立場から、「神典」(神道の聖典)とされた古事記や日本書紀の内容について、文献的批判をおこなった。これは日本のタブーを破る“危険な行為”だ。
直接皇室の歴史を疑うことにつながるゆえに、禁忌とされてきた。それを初めて破って、著書の中で近代的な史料批判を全面的に記紀に適用したのが津田だった。
津田が『記紀』に史料批判をおこなったことは、アストリュクが聖書にしたことと本質的には同じだと思う。
その結果、津田は『記紀』には史実としての資料的価値はないと唱え、そこに記されていた天皇の存在を否定する。
当時の日本でそれは天皇家の神聖を冒とくする行為と見なされ、津田は「日本精神東洋文化抹殺論に帰着する悪魔的虚無主義の無比凶悪思想家」とボロクソ非難された。
中世ヨーロッパでキリスト教に異を唱えた人物が「異端」の罪に問われたように、昭和初期の日本で津田は「不敬罪」にあたると攻撃を受け、政府は 1940年2月 10日に彼の4冊を本を発禁処分とした。それだけでなく、文部省からの要求があり、津田は早稲田大学の教授を辞職させられた。彼は裁判にかけられ、禁錮3か月、執行猶予2年の判決を受けた。
それぞれの国や文化に「神聖」とされるものがある。
程度や内容に違いはあるけれど、西洋世界では神の権威、日本では皇室の尊厳を冒とくすると罪に問われることがあったのだ。
日本の疫病神から欧米人、“ヨハネの黙示録の四騎士”を想像する
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