友人のドイツ人が日本へ旅行になって、ネットで情報収集をしていたとき、ある情報を知って驚いた。彼はナイフをよく使うので、日常的に持ち歩いている。が、あるサイトに、日本ではそれが違法行為になると書いてあったから、ナイフを持って行くつもりだった彼は不安になってしまった。
たしかに正当な理由もなく、刃渡り6㎝を超える刃物を持っていると、警察に捕まる可能性がある。
*銃刀法の細かいルールは各自で調べるように。
ドイツに比べて、日本ではナイフの携帯については厳しいらしく、彼は明らかにビビっていた。
銃刀法について言えば、現代と江戸時代の日本は真逆で、武士は刃渡り1メートル近くの刀を腰に差して、街中を堂々と歩いていた。彼もこの時代の日本へ行けばまったく問題はなかったのだけど。しかし、そんな時代は1876年3月28日に「廃刀令」が出て終了する。
明治政府が廃刀令を出した理由は、武士(士族)がオワコン化したからだ。
ここで1つ、注意がある。
江戸時代が終わったのは1868年で、廃刀令が出た時はまだ10年もたっていなかった。明治になって、武士は「士族」の身分となったが、価値観や考え方は江戸時代とあまり変わっていない者が多かった。士族といっても、中身は武士のままで両者の区別はあいまいだ。
廃刀令の目的をAIに聞くと「武士という身分を撤廃させるため」という答えが返ってきて、ウィキペディアには「武士の帯刀」を禁止したと書いてある。なので、この記事でも士族を「武士」と表現する。
明治政府は欧米の軍隊を参考にして、身分に関係なく国民から軍人を集め、新しい軍隊を組織しようと考えた。そこで廃刀令の3年前、1876年に政府は徴兵令を出し、国民は一時的に軍人になって訓練を受けることが義務となった。
武士の本来の仕事は敵と戦い、主君や国(藩)を守ることにある。
江戸時代までは武士がそういう立場にいたが、明治時代からは一般国民がそれをすることになったため、武士は存在意義を失った。
また、治安維持は警察にまかされていたから、武士には戦う義務も守る理由もなくなった。むしろ、刀を持ち歩く行為が危険視されるようになり、「戦士」としての武士のオワコン化はさらに進行してしまう。
明治政府は平等な社会の実現を目指していたから、武士の特権の象徴で、「武士の魂」といわれた刀(帯刀)を廃止することは絶対に必要だった。
16世紀、豊臣秀吉がした刀狩りでは、農民から武器を取り上げ、それを身につけられるのは武士に限定したことで、身分の上下がはっきり区別された。明治政府の廃刀令では、武士と一般人の見た目が同じになったから、その反対となったカタチた。ただし、明治の廃刀令は帯刀(たいとう)を禁止しただけで、刀を所持することは認められていた。
廃刀令が出される前から、日本にそんな空気はあった。
幕末、福沢諭吉はもう刀で戦うのは「ダサい」と考え、家にあった刀剣を売り払い、武士の刀を「馬鹿メートル」と呼んで批判した。長い刀を差している者ほど頭が悪い、時代に遅れているという意味だと思われる。
武士の出身で後に初代文部大臣になる森有礼も、1869年に「早く蛮風を除くべし」と廃刀令を主張した。廃刀令に全身全霊で反対した武士は全体的には少数派だったと思う。
おまけ
廃刀令で警官も刀を持ち歩くことを禁止されたが、1883年から帯刀が認められ、ヨーロッパの警官のようにサーベルで武装していた。戦後、GHQがそれを禁止し、警官は木製の警棒を身につけるようになった。ビジュアルとしては、サーベルを持った警察官のほうがかっこいい。
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