ローマ教皇と初めて会った日本人は伊東マンショ? 鹿児島のベルナルド?

つい先日、フランシスコ教皇がローマで亡くなり、いま世界中のカトリック教徒が悲しみに包まれている。この後、新しい教皇を選ぶためのコンクラーベ(教皇選挙)が行われる予定だ。最初の投票で決まらなければ、二回目の投票が行われる。時間はかかるが、根くらべだ(これが言いたかった)。
新しい教皇が決まると、礼拝堂の煙突から白い煙が出て、それが全世界に伝えられる。
ということで今回は、カトリック世界の頂点に立つこの人物と日本の関係について書いていこう。

 

1981年、ヨハネ・パウロ2世がローマ教皇として初めて日本を訪問し、広島で核廃絶への祈りをささげ、全世界に向けて「平和メッセージ」を発信した。
逆に、ローマへ行って教皇と初めて会った日本人は、伊東マンショや千々石ミゲルなどの「天正遣欧(てんしょうけんおう)少年使節」で、彼らは1585年にグレゴリウス13世と謁見し、ローマ市民権を与えられた。この一行を率いていたのは主席正使の伊東マンショで、彼はヨーロッパに渡った最初の公式な日本使節として記録されている。ちなみに、グレゴリウス13世はユリウス暦を廃止し、現在の西暦(グレゴリオ暦)を採用したことでも有名だ。

…と、一般的には考えられていて、先日の毎日新聞のコラム『ローマ教皇と初めて会見した日本人は…』(2025/4/23)にもそのように書かれていた。しかし、ウィキペディアを見ると、その名誉は「鹿児島のベルナルド」に与えられ、「日本人初のヨーロッパ留学生であり、ローマ教皇とも対面した」という説明がある。
「Breaking Down」に登場する選手の異名みたいな、鹿児島のベルナルドとはどんな人物なのか?

1549年に宣教師のフランシスコ・ザビエルが来日し、鹿児島で布教活動を始めた。そのザビエルが最初に洗礼を授けた日本人、彼によってキリスト教徒になった初めての日本人がベルナルドだ。イエズス会の記録に残っているのは、ベルナルドという洗礼名だけで、彼の日本名は分かっていない。ベルナルドは1555年にローマに到着し、ローマ教皇パウルス4世と謁見した。その後、彼はポルトガルで体調を崩し、1557年に亡くなり、故郷に戻ることはできなかった。

鹿児島のベルナルドについては日本側に記録がなく、日本人名をはじめ不明な点が多いため、ローマ教皇と初めて会った日本人は、一般的には天正遣欧少年使節になっているのだと思われる。AIに聞いても、「伊東マンショを中心とする天正遣欧少年使節の一行です」という答えが返ってきたから、やっぱりこれが正解とみていい。

 

今回の記事を書いていて驚いたのは、こんなでたらめな回答をするAIがあったこと。

「初めてローマ教皇に会った日本人は高山右近です」
「実際には伊達政宗です」
「岩倉具視(いわくら ともみ)です」

高山右近も伊達政宗もヨーロッパに行ったことがないし、岩倉具視は明治時代の人物でこれも論外。AIにもまだまだポンコツな部分があるから、ファクトチェックをしないと自分がポンコツ扱いされてしまう。

 

 

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