外国で初めて何かを経験すると、その人は自分が持っている知識や経験で判断するから、結果的に勘違いすることがある。
韓国メディア「朝鮮日報」の東京支局長が日本に住んでいて、毎日夕方5時になると、童謡の『夕焼け小焼け』のメロディーが流れるのを聞いて、「最初は軍国主義の名残だと思った」とコラムに書いている。(2025/07/03)
それはこんな理由からだった。
一日の任務の終了を意味する、軍隊の国旗下降式を連想したからだ。
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「夕焼け小焼けで日が暮れて〜」という穏やかなメロディーから、こんなことを連想するのは、きっと世界中で韓国人だけだ。
韓国人の頭の中では、日本のイメージに戦前・戦中の軍国主義の影響が強くある。それは切り離すことができないから、毎日決まった時刻に町中のスピーカーから何かの音が聞こえると、実際にはただの童謡なのに、「軍国主義の残滓(残りカス)だ」と誤解してしまうらしい。
次に紹介する「勘違い」はイスラム教徒のもの。
イスラム教徒が多く住む国や地域では、お祈りの時刻になると(またはその時刻が近づくと)、モスク(礼拝所)からアナウンスが流れることがお約束になっている。それが「アザーン」だ。それを知らなかったころ、エジプトを旅行中にカルチャーショックを受けた。
朝の4時ごろ、いきなり拡声器で大音量の声が聞こえてきたので、思わず飛び起きた。何かを話しているけれど、アラビア語なので何も理解できない。
「緊急事態が発生して、住民に避難を伝えているのかもしれない。だとしたらヤバい!」とあせったが、宿の中はとても静かで、誰も外に出る様子がない。後で宿のエジプト人スタッフから、あれは拡声器で「イスラム教徒のみなさん、お祈りの時間ですよ〜」と朝の礼拝を呼びかけるアザーンだと教えられた。
これはイエメンの首都サヌアで聞いたアザーン
以前、SNSを見ていたら、ボクとは逆のカルチャーショックを受けたというイスラム教徒の外国人がいた。
彼が日本に住み始めたころ、アパートにいると、窓の外から「たーけやー、さおだけー」という拡声器のアナウンスが聞こえてきた。日本語がわからなかった彼は、「これはアザーンだ! 近くにモスクがあるのか」と直感で誤解し、すぐに自転車に乗って声がする方向に向かった。しかし、彼がモスクだと思ったのは、実は移動販売のトラックだったので、だんだん声が遠ざかっていく。
彼は「これはアザーンではないようだ」と思い、一応探してみたけど、結局モスクは見つからず、失望してアパートに戻ったという。
後日、イスラム教徒のパキスタン人に「たーけやー、さおだけー」を聞いてもらい、その感想をたずねた。彼は驚いた顔をして、「このリズムや響きはアラビア語のアザーンに似ている! アザーンと勘違いしてモスクを探す気持ちはよくわかる」と語った。
韓国人が『夕焼け小焼け』を聞いて軍国主義の残滓と勘違いすることや、イスラム教徒が移動販売のアナウンスを聞いてアザーンと誤解することは、日本の価値観からするとありえないことだが、彼らの知識や経験に基づいて判断すれば十分にある。
コメント
コメント一覧 (1件)
> イスラム教徒のパキスタン人に「たーけやー、さおだけー」を聞いてもらい、その感想をたずねた。彼は驚いた顔をして、「このリズムや響きはアラビア語のアザーンに似ている! アザーンと勘違いしてモスクを探す気持ちはよくわかる」と語った。
確かに!私が20年くらい前にインドネシアで聞いたアザーンの響きも、そんな感じがしてました。
でも、
> 「朝鮮日報」の東京支局長が日本に住んでいて、毎日夕方5時になると、童謡の『夕焼け小焼け』のメロディーが流れるのを聞いて、「最初は軍国主義の名残だと思った」とコラムに書いている。一日の任務の終了を意味する、軍隊の国旗下降式を連想したからだ。
ていうのは、どうなんですかね?
「夕焼け小焼け」の穏やかなメロディーが「軍隊の国家下降式」ですか? 自分達が徴兵制と言う「軍国主義」の中で育っているからこそ、そのような「日本人に対する偏見」をいつまでも抱えることになるんじゃないですかね。