1910年に漢城(現在のソウル)で韓国併合条約が調印され、日本が韓国を併合することが決まり、同時に、日本が韓国のすべての借金を肩代わりすることになった。
これは、当時の日韓の圧倒的な国力の差が大きな原因になっている。今回は、そのギャップが生まれたワケを見ていこう。
朝鮮実学の祖・柳 馨遠
知人に韓国の大学に通う大学生(韓国人)がいる。
個人的に、韓国の大学は外観を少し見ただけで、キャンパス内は見たことがなかったから、彼に大学の写真を撮って見せてほしいと頼んだところ、その中に上の1枚があった。
古い石像のようで、大学のキャンパスではなく公園にありそうなものだ。
以前、中国皇帝の墳墓に並んでいる文官の像がこれと似ていて、彼に「Who is this?」と尋ねると、柳 馨遠(りゅうけいえん、ユ・ヒョンウォン)の像だと言われた。
※柳は三体の中の1人。
「あ〜柳か。誰それ?」と思って調べてみると、柳は17世紀の朝鮮時代の文官で、「朝鮮実学の祖」と言われる人物だそうだ。
「実学」とは、実際に役立つ学問や技術のこと。
「アウフヘーベン(止揚)」とかいう高尚な哲学用語を使って、クソ難しい理論を語るのではなく、人々の生活や仕事に役立つ実践的な知識や技術を学ぶことが実学。実学の反対は「虚学」と呼ばれ、観念的な学問を指す。
柳馨遠(ユ・ヒョンウォン)が唱えた実学も、基本的にはこれと同じものだろう。
「虚学」に熱中した朝鮮王朝
その大学生が言うには、柳は国を発展させようという熱意があり、当時の朝鮮で主流だった「朱子学」に批判的だったという。
この場合の朱子学とは「虚学」の一つで、文官(学者など)が難しい言葉を使って高尚な理論を述べて悦に入っているだけで、民衆の生活向上や国家の発展に貢献することのない、中身のない学問のことだろう。
こうしたエリート文官は、とても難しい科挙試験に合格した者だけがなることができた。科挙を現代で例えるなら、国家公務員試験になる。しかし、科挙の試験内容は中国の古典を暗記することがほとんどで、創造性を重視するものではなかった。
知人の韓国人は、朝鮮が発展できなかった原因に科挙制度があると考えていた。
この難しい試験に合格して文官になると、出世に有利なグループに入り、これまで勉強した知識を使って政敵を攻撃するために利用していた。
朝鮮時代、国を動かす人たちはこうした政争に明け暮れていて、国民の生活なんて考えていなかった。これで社会が発達するわけがない。
科挙と奴隷制度の廃止
彼がそう考えていて、柳馨遠(ユ・ヒョンウォン)について好きな点が2つあると言う。
まず、柳は科挙試験の廃止を訴えた。科挙の内容は空理空論の学問で、民衆や国家にとって役に立たないと考え、彼はその試験制度を無くし、もっと実際の社会で役立つ学問を学ぶべきだと主張した。
これが「朝鮮実学の祖」と言われる理由だろう。
もう一つは、柳が奴隷(奴婢)の廃止を訴えたことだ。
奴婢の子は自動的に奴婢になるという制度を批判し、労働の対価として給料を与えて「雇用」しようと主張した。柳は高貴な身分でありながら、朝鮮社会の「最底辺」にいた奴婢とも交際していたという。
また柳は、政府が王室の財政を管理し、無駄な支出をやめさせようとした。
当時の朝鮮は、豊臣秀頼の朝鮮出兵や丙子(へいし)の乱があった後で国内は疲弊していて、柳は大胆な改革を行って国を豊かにしようと考えていた。
※丙子の乱とは、清が朝鮮に攻撃を仕掛け、服属させた戦争のこと。
しかし、柳が唱えた実学は朝鮮王朝では軽視され、主流にはならなかった。当時の文官たちは、国内の商人や農民が利益を得ることに興味がなかったのだろう。
室町時代から江戸時代にかけて、日本を訪れた何人もの朝鮮人が農村にある水車を見て驚いている。朝鮮では19世紀後半になっても、水車を作ることができなかった。
その理由も実学を軽視していたからだと思われる。
朝鮮の改革をしたのは日本だった
日本は国内改革(明治維新)に成功して近代国家となった一方で、朝鮮は低迷し、日本に主権を奪われて消滅した。
もし、朝鮮政府が実学を採用して国内改革を行い、国民生活を向上させていたなら、国家はもっと発展し、日本の一部になることはなかったかもしれない。
そんな話をする韓国人大学生に、朝鮮の科挙と奴隷制度を廃止したのは日本だと伝えると、彼はショックを受けていた。彼は、その2つがいつ朝鮮社会から消えたか知らなかった。
1895年に日本が日清戦争に勝利し、朝鮮が中国(清)から独立した後、朝鮮社会で日本の影響力が強まり、さまざまな国内改革が行われた。その一環で、科挙と奴隷制度が廃止されている。
日本では江戸時代の中期、新井白石が朱子学を非実用的だと批判して実学を採用し、それが国を豊かにするために重視されていた。
日韓のそんな歴史の違いが、19世紀の後半に決定的な形で現れたのだ。
現代の韓国を見ていると、政治家の中には古くて難しい言葉や表現を使いたがる人が多くいるように感じる。朝鮮時代、空想的な虚学(朱子学)を重視していた影響ではないかと思う。

コメント
コメント一覧 (2件)
“士農工商” == 朝鮮の身分体制の順位です。
中国の性理学を学び、漢字を学び、文章を書く官僚が最高で、’工商’は下位集団です。
あんな社会で科学や技術は発達できません。壬辰倭亂(文禄·慶長の役)の時、日本に捕えられた陶工たちは日本で最高水準の待遇を受け、日本の陶磁器産業を主導しましたが、彼らは朝鮮では非常に卑しい賤民でした。朝鮮の亡国は必然でした。
>中国の性理学を学び、漢字を学び、文章を書く官僚が最高で、’工商’は下位集団です。
朝鮮時代、文官たちは生理学を学び、その知識を政争に使っていました。ある意味、中国との関係さえ良かったら安全は保証されていたので、内輪もめに集中できたかもしれません。しかし、それでは時代の変化に対応できません。