「山城国一揆」 日本史ではレアな事件
日本の歴史は、いつも天皇や将軍、大名といった「ひとりの強いリーダー」が国(領土)を動かしているイメージがあるけど、実際はそうでもない。
確かに、日本の歴史のほとんどは、そんな特定のリーダーが支配する「君主制」という形だった。でも、今から約550年前、そんな常識をぶち破る出来事が起きた。
それが「山城国一揆(やましろのくにいっき)」だ。
これはいわば、当時の民衆が自分たちでルールを決め、自分たちで運営した「共和国」になる。日本史のなかでも、ドラクエの「はぐれメタル」より珍しい、超レアな政治体制だった。
守護大名を追い出した「民衆の団結力」
きっかけは、約10年も続いた日本最大級の内乱「応仁の乱(1467年〜1477年)」だ。この戦いで京都やその周辺は大混乱におちいり、荒廃していった。
乱が終わっても、山城国(今の京都府南部)では「畠山(はたけやま)氏」という名門一族で、政長が従兄の義就(よしなり)と争っていた。
(この「内輪もめ」が応仁の乱が起きた原因のひとつだった)
戦場にされた村は荒らされ、米は奪われ、人びとは無理やり戦いに参加させられる……。
1485年、ついに人びとの我慢が限界を超えて、地元の武士である「国人(こくじん)」や農民たちが、宇治の平等院に集まって話し合いをおこない、畠山氏を排除することを決める。
「俺たちの土地から、勝手なケンカを続ける大名たちを追い出そうぜ!」と、数千人の民衆が武器を持って立ち上がり、強力な大名軍を山城国から追い出すことに成功した。
リーダー不在の政治 「三十六人衆」の話し合い
この山城国一揆で特徴的な画期的だったは、特定のリーダーはつくらなかったこと。 彼らは「三十六人衆」という36名の代表者を選び、「評定(ひょうじょう)」という話し合いだけで政治を進めることにした。
彼らが作った「国中掟法(こくちゅうおきてほう)」という独自のルールを見てみよう。
・畠山氏の立ち入りを禁止する
・土地(荘園)を元の持ち主に返す。
・新しい関所を作らない(物や人の流れを止めると、商売や交通のジャマになる)。
誰か一人が命令するのではなく、代表が決めたルールをみんなで守る。この自治は「惣国(そうこく)」と呼ばれ、政治の形としては「共和制(きょうわせい)」に近いものだった。
畠山氏という共通の敵が消えると、つぎに内側から新しい「敵」が現れた。今度は、国人と農民、国人同士が対立するようになり、「分裂」の危機をむかえた。
結局、1493年に伊勢氏に支配され、山城国の自治は8年ので幕を閉じた。
「君主制」と「共和制」
世界の歴史には、王や皇帝が統治する「君主制」もあれば、その存在を取っ払って、民衆の代表が集まって話し合う「共和制」もある。
「どちらが正しいか?」という問題ではない。それぞれの時代や国に合った政治体制があるだけの話だ。そこに住んでいる人びとがハッピーになる政治体制が最適解。
日本の歴史で「共和制」が誕生したのは例外的で、「山城国一揆」はそのレアな出来事なひとつ。その意味での「キング・オブ・例外」といえば、今の石川県で起きた「加賀の一向一揆」(1488年〜1580年)がある。あちらは約100年も自治が続いた。

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