東アフリカのエチオピアを旅行した日本人から、こんな話を聞いた。
彼が田舎の食堂に入って、この地域にある代表的な家庭料理を作ってほしいとリクエストした。
「食べ物ガチャ」で、どんな食べ物が出てきても完食してやろうと決意していたら、店員が運んできたのはパスタだった。
「なぜイタリア料理が?」と不思議に思って店員にたずねると、彼はこんな話をする。
「この国はイタリアに占領され、支配を受けていた歴史があるのは知っているだろ? そのときにパスタが持ち込まれた(Pasta)。パスタは誰でも簡単に作ることができるから、すぐに広がって、この地域では伝統的な家庭料理になったんだ。」
※1936年から1941年まで、エチオピアはイタリアの植民地だった(イタリア領東アフリカ)。
もともとは外国から伝わった料理でも、その国の社会にしっかり根付いて「家庭料理」と認識されることがある。
味の素、「東南アジアの味」になる
1909(明治42)年のきょう5月20日に売り出された「味の素」も、東南アジアでそんなポジションを占めている。
ちなみに、この日が味の素社の 「創業記念日」だ。
これまでベトナム、ラオス、タイ、マレーシア、インドネシア、ミャンマーなどを旅した経験から、「味の素は“東南アジアの味”になっている」と自信をもって言える。
ミャンマー人の勘違い
たとえば、ミャンマーのローカルな市場を散策していると、大量の「味の素」の袋を見つけた(トップ画像)。
現地の日本語ガイドの話では、味の素はミャンマー人の生活に欠かせない調味料になっている。
子供のころから身近にあって慣れ親しんでいたから、彼女はこれをミャンマーの商品だと思い込んでいた。
でも、ガイドを目指して日本語を学んでいるときに、味の素を開発したのは日本企業であることを初めて知って、彼女は衝撃を受けたという。
インドネシアの博物館に展示されていた「味の素」
インドネシアを旅行していて、歴史博物館を見て回っていると、味の素の瓶が展示されていたから、思わずガン見してしまった。
東南アジアの屋台や食堂なら分かるが、まさかこんなところで、大切に保管されているとは夢にも思わなかった。

個人的には「古そうな味の素」としか見えないけれど、インドネシアでは「スーパー調味料」と書かれたこの味の素に歴史的な価値があるらしい。
味の素はいつ東南アジアに進出した?
タイやベトナムなどでも味の素が広く浸透し、現地の食文化を支え続けている。
「戦後になってから東南アジアに味の素が伝わった」と、何となくそう思っていたら、実はまったく違った。
実際には、1923(大正12)年に味の素社はアジアの各地に社員を派遣し、販売状況の調査や宣伝活動をおこなっている。
そして、1927年にシンガポールと香港に事務所を設置し、フィリピン、タイ、ビルマ、マレー半島で積極的に販売活動を始めた。
当初は、華僑を中心に「味の素」の需要が広がったらしい。
くわしいことは、味の素HPにある「味の素グループの歩み」を読んでほしい。

タイでは、屋台が街のいたるところにある。
でも、最近は規制が厳しくなって、数は減っていると聞いた。
味の素が東南アジアに浸透した理由
この日本発のうま味調味料が、どのようにして東南アジアの人びとの心と胃袋をつかんだのか?
その背景を調べてみると、大きく2つの理由が見つかった。
① 屋台文化とのマリアージュ
東南アジアでは屋台の文化が発達していて、旅行をしたら、屋台のお世話にならないほうがむずかしい。
都会の路上には早朝から深夜まで、さまざまな食べ物を売る屋台があって、地元の人たちは日常的に屋台で朝食やランチを済ませたり、テイクアウトをしたりする。
15年ほど前、3人のタイ人を連れて伊勢神宮へ行った。
五十鈴川沿いの広い駐車場に車をとめて、内宮へ歩いて向かっていると、1人のタイ人がこんな話をする。
「屋台が一つもありませんね。タイだったら、これだけ広い場所とたくさんの人がいたら、すぐに屋台が並びます」
日本と違って当時のタイでは、当局から営業許可を取る必要はなかったらしい。
それか、あっても無視して、近所の人が勝手に空いたスペースで屋台を開いて、食べ物を売り始めていたという。
日本の感覚からすると、屋台を開く人は超無責任で、客が食中毒になっても責任をとらない。
こんな屋台の経営者にとっては、料理を「素早く」「大量に」「安く」、そして何より「おいしく」提供することが重要だ。
「経営者」と言っても、人が集まるところがあれば、近所のおばちゃんが勝手に屋台を出すケースも多かったはず。
味の素は、そんなニーズに完璧にフィットした。
これを使えば、時間をかけて出汁(だし)をとらなくても、パッパと振りかければ、誰でも一定以上のおいしさの食べ物を作ることができる。
まさに「スーパー調味料」だ。
スピードと味の安定を求める屋台の料理人と、「味の素」という魔法の粉はマリアージュ(最高の組み合わせ)だったというわけだ。

東南アジアでは、味の素が「使い切りパック」で売られている。
② 小分け販売という戦略
しかし、どんなに優れた調味料であっても、庶民が気軽に買うことができなかったら、ここまで社会に広がることはなかった。
味の素社はその事情を考え、画期的なアプローチをおこなった。
味の素を「小さな使い切りパック」にしたり、ワンコインで買える少量にしたりして、格安で販売することにした。
極小の使い切りサイズなら、東南アジアの庶民や低所得層でも、味の素を購入することができる。
1960年代から、アジアでこの小袋販売をやり始めると、これがヒットして大成功を収めた。
味の素社の特別常任顧問、北村卓三さんの話によると、まずは味の素を広く知ってもらい、後から大容量の袋で売る戦略をとった。
まずは小袋単位で販売し、順々に大きいサイズで販売していく方式も味の素の伝統です。
まとめ:東南アジアで「家庭の味」となった味の素
誰でも簡単に、おいしい料理を作ることができる「スーパー調味料」は、東南アジアの需要に合っていた。
そして、収入の少ない人に寄り添って、手の届く値段設定にしたことで、味の素は貧富の差を超えて、社会全体へと浸透していった。
「エチオピアのパスタ」と違って戦争や植民地支配とは関係なく、「草の根」から広がった。
今の東南アジアの人々にとって味の素は「日本の調味料」ではなく、生活と深く結びついた「屋台の味や家庭の味」そのものになっている。

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