日露戦争のフラグ|ウラジオストク(東方の支配者)の建設

「歴史は出来事を単独で覚えるのではなく、“流れ”で理解することが大切です。」

中学や高校の授業で先生からそんなことを言われ、「流れで覚えられるように説明するのがアンタの仕事だろ?」と反発した人も多いと思われる。

歴史的な事件の背景をみると、それを予感させる出来事が事前に発生していることが多い。
マンガや小説では、それを「布石」や「フラグ」という。
1904年に起きた日露戦争でも、44年前にロシアによってフラグが立てられていた。
それは「東方の支配者」という巨大なフラグだ。

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悲願の不凍港獲得と「東方の支配者」の誕生

地球上でもっとも寒い国の一つであるロシアにとって、冬でも凍らない「不凍港」を獲得することは国家の悲願だった。
そのため「南下政策」を推進していた。

ちなみに、ペテルブルグ市出身のあるロシア人は、静岡県の冬も母国並みに寒く感じると話していた。

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ロシアは西側ルートで不凍港の獲得を目指していたが、クリミア戦争(1853年〜1856年)でオスマン帝国やイギリス、フランスなどの連合軍に敗北し、その野望は打ち砕かれてしまう。

この失敗によって、ロシアの視線は西から東へ向かった。
次なるターゲットとなったのがユーラシア大陸の東端だ。

1860年、ロシアは新たな軍事拠点を建設し、その都市を「ウラジオストク」と名づけた。
これはロシア語で「東方の支配者(Lord of the East)」という意味で、この都市名には、極東アジアを勢力下に置こうとするロシアの野心が込められていた。

これによってロシアは念願だった「不凍港」を手に入れることができた。
※ただし、ウラジオストクは完全な不凍港ではなく、後に獲得した旅順が一年を通して使える港となった。

そのころ、日本は幕末の動乱期にあり、1860年3月に「桜田門外の変」が起き、大老の井伊直弼が暗殺され、幕府の権威が大きく揺らいだ。

ロシアについて言えば、前年の1859年に、来日中だったロシア海軍の軍人が殺害されている。ヨーロッパ人が殺害される事件は、これが日本初かもしれない。

当時の日本人が気づいていたか分からないが、ウラジオストクの建設は、後に国家の存亡を揺るがすほどの大きな脅威となっていく。

三国干渉と「臥薪嘗胆」の決意

一方、国家の近代化に成功した日本は、日清戦争で勝利を収め、戦後の講和条約によって、清から旅順を含む遼東半島などを獲得した。

しかし、ここでロシアが想定外の動きに出る。
日本の勢力拡大を嫌ったロシアはドイツとフランスを誘って、半島を清に返還するよう日本に迫った。
当時の日本がこの列強3カ国と戦って勝てるはずがない。
非力な日本はこの屈辱的な「三国干渉」を受け入れるしかなかった。

ところがその後、ロシアは清に迫り、日本が手放した旅順などを「租借地」という形で手に入れやがった。
日本としては、「トンビに油揚げをさらわれた」(第三者に横取りされる)という気分だ。

ロシアのごう慢で理不尽な振る舞いに対し、日本国民の怒りは爆発し、「臥薪嘗胆(目的を達成するために苦労を耐え忍ぶこと)」がスローガンになり、国内では反ロシア感情が高まっていく。
日本国内には、いつか必ずロシアを倒そうという好戦的な空気が充満していく。

満韓交換論の決裂、そして日露戦争へ

しかし、当時のロシアは世界屈指の軍事大国で、清とはレベルが違いすぎる。
そのため日本の政界では、ロシアと戦争をしても勝算はないという悲観的な見方が多かった。

そこで伊藤博文などは正面からぶつかるのを避け、ロシアと同盟関係を結ぶべきだと考え、その意見が支持された。

1903年、日本はロシアに対して「満韓交換論」を提案した。
それは、日本が満州でのロシアの権利を認める代わりに、ロシアが朝鮮半島での日本の権利を認めるというもの。

現在の韓国人が「満韓交換論」を聞いたら、激怒することは間違いない。しかし残念ながら、当時の韓国は非力で、この「パワーゲーム」に参加することはできなかった。

日本は平和的な解決を目指したが、ロシアから返ってきた答えは「ニェート(だが断る)」だった。

交渉は決裂し、日本は覚悟を決めた。
翌1904年、日本はロシアと国交を断絶し、ついに日露戦争へと突入した。

日本が「東方の支配者」なんて存在を認められるわけがない。ウラジオストクが建設された時点で、おそらく日本とロシアの戦いは避けられなかった。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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