今回は「日本とアメリカ人」なので、まずは導入としてアメリカ大使館が「X」にした投稿を紹介しよう。
あした7月4日はアメリカの独立記念日(Independence Day)だ。
同盟国である日本もそれを記念して、東京タワーやレインボーブリッジを「アメリカ色」に変えることになったから、米大使館が「いっしょに祝おうぜ!」と呼びかけた。

今年はアメリカが誕生して250周年になる。
では、日本とアメリカの関係はいつからはじまったのか?
これから、最初の接点と鎖国の移り変わりについて書いていこう。
ジョン・ケンドリック|初めて日本に上陸したアメリカ人
日本の地を初めて踏んだアメリカ人は誰か?
そう聞かれて、「1853年に黒船を率いて来航したペリーでは?」と思う人は多いのでは。実は、彼より60年以上も前に日本を訪れたアメリカ人がいる。
それが冒険商人のジョン・ケンドリックだ。
日本側の記録では「堅徳力記」と記されている。
当時、江戸幕府は鎖国政策をとっていたため、許可なく日本に上陸することは違法行為となった。
ケンドリックはそれを知りつつも日本へやって来て、アメリカ建国の約15年後、1791年に和歌山の紀伊大島に上陸した。
住民がそれを阻止しようとすると、ケンドリックは威嚇射撃をおこなったという。
言葉ではなく、銃声で黙らせようとするところに、当時のアメリカ人の気質が表れている。
彼の目的は商品の「ラッコの毛皮」を売ってもうけることだったが、日本人はそれに興味を示さなかったらしく、交易は失敗に終わっている。
「異人が上陸した!」という知らせが和歌山城に届き、大名は彼らを捕縛するため、侍の部隊を派遣したが、ケンドリックらはそれが到着する前に大島を去った。
これは正解だ。
もしケンドリックが捕まったら、運が良くて国外追放、最悪の場合は処刑されていたかもしれない。
記録に残るかぎり、これが日本とアメリカの最初の接点で、ケンドリックは初めての訪日米国人となった。
この出来事は、アメリカにとっては「自国民による初の日本訪問」という象徴的な意味合いが強いが、日本にとっては、新しい警報システムと沿岸警備の導入につながった。
沿岸の警備体制が厳しくなり、鎖国下における日本の孤立を一層深める結果となった。
The result of this first visit of Americans to Japan was largely symbolic for the United States. For Japan, it resulted in a new system of alarms and coastal patrols, increasing Japan’s isolation under sakoku.

ジョン・ケンドリックが乗っていた船
ラナルド・マクドナルド|日本初のネイティブ英語教師
ケンドリックの後にやって来たのは、ラナルド・マクドナルドだ。
現在のカナダで生まれた彼は、アメリカ合衆国の国民ではなかった「北米出身」ということで、ここでは「アメリカ枠」として紹介させてほしい。
1848年に北海道へ上陸(これも密入国)したマクドナルドは、 日本人に捕まって取り調べを受けた後、長崎へ送られた。
彼は「囚人」という立場だったが、長崎奉行は役人にマクドナルドから英語を学ばせていたから、待遇はかなり良かったと思われる。
彼が英語を教えた一人に森山 栄之助がいて、後に福澤諭吉が森山から英語を教わった。間接的にマクドナルドは福澤諭吉の「先生」になる。
彼についてはこの記事を読んでほしい。

アヘン戦争が日本の鎖国政策を変えた
1791年のケンドリック上陸から、マクドナルドの上陸までの間に、実は日本では鎖国政策を大きく変更していた。
そうせざるをえない出来事があったのだ。
1840年のアヘン戦争でイギリスが中国(清)を打ち破り、その結果を知った日本は言葉を失った。
強国と考えていた清がアッサリ負けたことで、日本は欧米諸国の力を過小評価していたことに気づき、鎖国体制をゆるめて西洋とは戦わない方針を決めた。
それまでは、「遭難した船であっても、近づいたら砲撃して打ち払え」という異国船打払令を出していたが、幕府はそれを廃止し、1842年に「遭難船には燃料や水を与えよ」という薪水給与令を出した。
つまり、鎖国体制は続けるが、武力で追い返す強硬策は引っ込め、困っている船には物資を与えて穏便に帰ってもらう方針へと転換したのだ。

ついに「ラスボス」が現れ、開国へ
ケンドリックの来日から62年後、マクドナルドからはわずか5年後、ついに「ラスボス」がやってきた。
1853年にペリーがアメリカ艦隊を率いて来航し、江戸の「玄関口」にあたる浦賀沖に現れた。
このとき、アメリカ艦隊が独立記念日の祝砲を発射すると、空砲と知らなかった江戸の町民は恐れおののき、大混乱となった。
しかし、それが空砲だとわかると、町民は花火の感覚で楽しんだという。
ペリーは圧倒的な軍事力を背景にして幕府に開国を迫り、それを実現させた。
その際、幕府側で通訳を務めたのは、マクドナルドの教え子たちだった。

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