楽観主義が招く悲劇
「こんなことが起きたらどうしよう」と存在しない恐怖に怯えず、「起きたときに考えよう」と楽観的に生きることができるのは個人の話で、国民の生命と財産を守る軍隊にそれは許されない。
古代中国の兵法書『孫子』には「無恃其不来、恃吾有以待之(敵が攻めてこないことを期待するのではなく、いつ攻められてもいいように準備を整えておく)」という言葉がある。
「敵は攻撃してこないだろう。きっと大丈夫だ」と楽観的に考え、迎撃態勢を整えておかないと、自分が致命的なダメージを受けることになってしまう。
希望的観測が地獄を招いた例が朝鮮戦争であった。
きょう7月27日は、韓国にとってとても重要な日だ。
1953年のこの日、北朝鮮との休戦協定が締結され、3年にわたって行われてきた戦闘が停止した。
現在も「停戦中」であり、朝鮮戦争はまだ終わってはいない。
そのため軍事境界線が設定されているだけで、まだ両国の間に「国境」は存在しないのだ。
ソウル陥落の背後にあった「3つの油断」
1950年6月25日、北朝鮮軍が突如南進し、韓国へ攻め込んで朝鮮戦争がはじまった。
北朝鮮は韓国軍の防御線を突破して軍の主力を殲滅し、3日以内に首都ソウルを占領することを当初の目的としていた。
そして南部の釜山まで韓国軍を追い詰め、撃退した後に朝鮮半島を統一するというプランであった。
実際に開戦から3日後の6月28日、北朝鮮軍は計画通りソウルを占領することに「成功」した。
なぜ、韓国側にとってこれほど致命的な事態が起きたのか?
そこには韓国軍の「3つの油断」があった。
油断その1:開戦前夜のパーティー
1つ目は、韓国軍の幹部たちの気の緩みだ。
6月24日、つまりよりによって開戦前夜に、ソウルでは「陸軍会館将校クラブ」の完成を祝うパーティーが開かれ、高級将校の多くが深夜まで楽しんでいた。
韓国の人たちは基本的に酒好きでパーティーの際には豪快に飲む(今では控えるようになってきたが)。
その結果、数時間後の25日未明に北朝鮮軍の南侵が始まったとき、指揮を執るべき高級将校には深い眠りに入っている者がいたし、非常召集を受けて駆けつけても二日酔いの状態で、まともな判断ができないでいた。
これにより、初動の指揮系統は麻痺してしまった。
油断その2:直前の「非常警戒態勢」解除
2つ目は、最悪のタイミングでの警戒解除だ。
実は韓国側も北朝鮮軍の南侵を予想し、6月11日から非常警戒態勢を敷いていたのだ。
しかし、具体的な動きを把握できなかったため、6月23日にこの警戒態勢を解除してしまった。
北朝鮮軍の攻撃が開始されたのはその2日後だ。
日本のネットでは「最悪のタイミングで最悪の選択をする」という言葉があるが、このときの韓国軍がしたのはまさにそれだ。
油断その3:戦車への想定不足
3つ目は、地形を理由にした思い込みだ。
戦車は平原や砂漠などの「平地戦」で機動力を発揮し、戦車部隊が横に広く展開して一斉に突撃したり、敵の側面に回り込んだりすることが可能になる。
また、平地なら見晴らしが良いため、遠く離れた敵を捉え、戦車の主砲を有効に使って攻撃することができる。
朝鮮半島には山が多いため、韓国側は「北朝鮮軍が戦車で攻めてくることはない」と想定していたのだ。
だから、韓国軍は戦車を1輌も保有しておらず、有効な対戦車火器もなかった。
それに対し、北朝鮮軍はソ連軍から200輌以上の戦車を提供されていた。
北朝鮮軍が戦車部隊で攻め込んだとき、韓国軍はまともに抵抗できず、防衛線が一気に崩壊した。
「将校たちの深夜の宴会」、「間違ったタイミングでの警戒態勢の解除」、「戦車戦を想定していなかった」という3つの悪条件が重なったことが、開戦からわずか3日でのソウル陥落につながった。
絶望的な状況での韓国軍の奮闘
韓国は首都を占領されたが、韓国軍の兵士たちは前線で命がけで戦ったことで、軍の主力が殲滅される事態は阻止できた。
北朝鮮側にとっては誤算で、「朝鮮半島を早期に統一する」という最大の計画は挫かれることとなる。
その後、韓国軍は釜山まで押されてしまったが、米軍が参戦し形勢を逆転させた。
しかし、今度は中国の義勇軍(中身は中国軍)が北朝鮮を支援し、1953年に戦闘は停止した。
備えあれば憂いなし
今では韓国にはもう油断も死角もなく、「無恃其不来、恃吾有以待之」を実践しているはずだ。
この先何が起きても、3日でソウルが陥落することはないだろう。

コメント