【抗日の8月】韓国らしい歴史イベント“日帝の巡査を撃て!”

 

1945年の8月15日、日本はアメリカに降伏して太平洋戦争は終結した。
これは、朝鮮半島では日本の統治が終わったことを意味し、独立(主権)を取り戻したということで、現在の韓国でこの日は「光復節」と呼ばれている。
韓国社会で日本統治は「日帝強占期」と表現され、暗黒時代とされている。「光復」とはそれが終わり、「光が復する(=戻る)」を意味する。

日本で8月15日は終戦記念日にあたり、国民は戦争で亡くなった人たちの魂に深く頭を下げる日となっている。
いっぽう、韓国では「歓喜の日」になる。この日が近づくと、国民は改めて歴史について学ぼうとし、日本と戦う映画やドラマなどがよく公開されるから、8月は全体的に抗日ムードが高まるのだ。

 

西大門刑務所を出所し、笑顔を見せる独立運動家 (1945年8月16日)
*ウィキペディアには「独立運動家」と書いてあるが、ブログの韓国人読者さんから、「社会主義者や共産主義者たちです」という指摘があった。

 

日本統治時代、政治犯は京城(ソウル)にあった西大門刑務所に収容されていた。
ここは現在、歴史館として公開されていて、独立運動家が収容されていたことから、抗日運動の「聖地」となっている。
韓国の児童生徒が校外学習でよくここに来て、不幸な時代について学んでいるから、位置づけとしては広島の原爆ドームに近い。

 

以下、西大門刑務所歴史館の写真
(展示や説明については疑問視されているものもあり、どこまで事実かはわからない)

韓国は「不法」と主張しているが、日本は「合法」だったと主張している。

 

 

 

韓国の独立運動家で、1920年に西大門刑務所で死亡したとされる柳 寛順(ユ・グァンスン)

彼女は裁判所のイスを裁判長に投げつけたため、法廷侮辱罪で7年の刑期になったと韓国の歴史教科書に書かれていたが、日本の刑法に法廷侮辱罪なんて存在しない。
柳寛順については「愛国抗日」のヒロインとして、話がかなり誇張されていたことがわかり、彼女の伝記を削除した韓国の教科書もある。

 

韓国で8月は「歴史強化月間」となるため、企業や行政、さまざまな施設が歴史を学ぶことができる体験プログラムを提供している。
韓国メディア『国民日報』の記事によると、いま注目を集めているのは「西大門独立祝祭」だ。

“일본 순사한테 물총 쏘러 가자” 14·15일 ‘서대문독립축제’ 눈길

機械翻訳:「日本の巡査に水鉄砲を撃ちに行こう」14・15日「西大門独立祭」に視線

このイベントでは、子どもたちが日本時代の巡査に水鉄砲を撃って攻撃することができる。
あの時代の警察は庶民をいじめる悪のシンボルだから、それを退治することで歴史を学び、さらに猛暑を打破できるという画期的なアイデアがネット民に受けているという。
韓国風に言うと「独立軍戦闘体験」で、日本風に言うなら節分の豆まきだ。

しかし、子どもたちに日本への憎悪や敵意を植え付けるというのはどうだろう?
伊藤博文を銃殺した安重根は韓国では「義士」として尊敬され、日本では「テロリスト」と非難されている。
日韓では歴史認識がアベコベで、正義と悪がひっくり返ることは多いから、「西大門独立祝祭」も日本の価値観で判断することはできないか。

…なんて思って10年前の動画を見てみたら、タイの新年を祝う水かけ祭り「ソンクラーン」のようで、この「独立軍戦闘体験」はかなり楽しそうだ。
子どもたちの笑顔を見ると、本来は“悪の手先”であるはずの日帝の巡査が「楽しいお兄さん」と思ってしまわないか心配になるレベル。
抗日独立闘士たちの魂はどう思っているのか。

 

 

これはユーチューブで拾った動画(抗日愛国ミュージカル?)
どっちの動画も舞台は西大門刑務所歴史館だ。

 

 

 

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4 件のコメント

  • まず、あんな未開なイベントを子供たちを対象に行う西大門刑務所側に対して同じ韓国人として怒りを表さずにはいられず、日本国民には申し訳なく思っています。あんなイベントは子供たちの精神を腐らせる暴挙です。
    そして、先生の上記の本文について一部お話します。
    西大門刑務所を政治犯収容所と書きましたが、そうではありません。
    あの西大門刑務所で死刑になった囚人は1922-1945年まで合わせて197人でしたが、そのうち政治犯は19人だけでした。残りは政治犯ではなく、一般的な雑犯でした。
    また、”西大門刑務所を出所し、笑顔を見せる独立運動家 (1945年8月16日)”と書いた写真も政治犯(日本統治に抵抗した朝鮮の独立運動家)ではなく、社会主義者、共産主義者たちです。当時、朝鮮総督府では、日本の敗戦により朝鮮内で暴動などの騒乱が起こることを懸念し、朝鮮の有力な指導者に会い、朝鮮総督府と日本国民が日本に撤収するまで朝鮮の治安を担当することを頼んだが、大部分は断って、共産主義者のヨ·ウンヒョンがその役を引き受けると出ました。そして、そのヨ·ウンヒョンが一番最初にしたことがまさにあの西大門刑務所に収監されていた自分の同僚たち、つまり共産主義者、社会主義者たちを釈放したのがあの写真です。
    そしてあの写真は韓国で今でも8.15光復を喜ぶ朝鮮人たちで宣伝されている実情です。

  • コメントをありがとうございます。
    西大門刑務所についてですが、確かにあそこに収容された政治犯は少なかったです。ただ、ソウルナビで「独立を求めて闘った多くの独立運動家が投獄、弾圧され」と紹介されているように、柳などの独立運動家が投獄されたことで、現在の韓国社会では「聖地」のようになっていると思います。なので、そこを強調しました。
    「西大門刑務所を出所する独立運動家」というのは、ウィキペディアにあった説明です。しかし、これが間違っている可能性もあります。なので、記事にこのコメントも紹介しました。
    歴史にくわしい韓国人ならでのご指摘をありがとうございます。

  • 柳寛順については日本側の資料をもう少しご紹介いただければ幸いです。
    韓国では柳寛順は「抗日独立運動のアイコン」とされる、いわばフランスのジャンヌ·ダルクのような存在です。そして刑務所で死亡したので、”悪辣な日本の警察が柳寛順を殺した”という観念が韓国人に植えられています。それで私も子供の頃、”3.1節の歌”に出てくるユ·グァンスンさんの死亡歌詞を歌いながら泣きました。ユ·グァンスンは韓国では”ユ·グァンスン姉さん”と呼ばれています。私は柳寛順が抗日運動をしたことを誇りに思います。しかし、だからといって、柳寛順の死が美化されすぎたり歪曲されたりしてはならないと思います。事実を知りたいのですが、韓国には資料がありません。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。