「隣国ガチャ」があるとしたら、好戦的で残酷な独裁者が支配していて、強大な軍事力のある国が隣にあることは大外れではあるけど、最悪ではない。
一番のハズレは、そんな凶悪な国に挟まれていることだ。
たとえば、第二次世界大戦時、ヒトラー率いるナチス・ドイツと、スターリンをボスとするソ連にはさまれていたポーランドは、世界史的にも最悪レベルのハズレを引いたと言える。
1939年の9月、ドイツがポーランドに攻め込んだことで、第二次世界大戦が始まった。
人種差別主義者のカタマリだったナチスはポーランド人を「劣等民族」と見なし、最低限の初等教育だけを受けさせることは認めたが、大学は閉鎖し、多くの大学教授を処刑した。
一般人は死ぬまで強制労働をさせられたり、虐殺されたりして、次々と死んでいく。
また、ナチスはユダヤ人を絶滅させるため、ポーランドにアウシュヴィッツ強制収容所を建設し、ユダヤ人を殺害していった。このホロコーストで、600万人のユダヤ人が虐殺されたとされる。(ナチス・ドイツとソビエト連邦によるポーランド占領)
しかし、好機は訪れた。
1944年6月、ドイツと敵対していたソ連がバグラチオン作戦を決行し、ドイツ軍を撃破して東へ撤退させることに成功した。ソ連軍(赤軍)は勢いに乗って西へ進攻し、ポーランドの首都ワルシャワの10キロ手前に到達する。
(ソ連軍がそのまま侵攻し、ワルシャワにいたドイツ軍を駆逐することも可能だったと思う。)
ソ連はワルシャワにいたポーランド国内軍と話し合い、ソ連軍が攻め込むと同時に国内軍が蜂起して、ドイツ軍を内外から攻撃することにした。
そうすれば、より確実性が増し、損害を少なくもできる。
国内を蹂躙(じゅうりん)されていたポーランド人も報復に燃えていたから、この連携作戦はまさにウィン・ウィン。
7月29日、モスクワのラジオ局がワルシャワに向けて、
「ドイツ軍と戦え! 明日にも独立のための援軍が合流する。ワルシャワを解放し、ポーランドの地からヒトラーの害虫どもを追い払え。ドイツに致命的な打撃を与えろ」
といった内容の放送を行った。
そしてついに8月1日、5万人のポーランド国内軍が決起し、ワルシャワにいたドイツ軍を相手に戦った。同時に、ソ連軍が攻め込んできて、ドイツ軍を完全に撃破して一掃し、ポーランドは独立を回復するはずだった。
しかし、ソ連軍は動かない。
ヒトラーはソ連がこの蜂起に呼応しないと判断し、国内軍の無慈悲な鎮圧とワルシャワの徹底的な破壊を指示した。
こうなると、貧弱な武装しかしていなかった国内軍が、充実した武器を持っていたドイツ軍に勝てるはずがない。戦闘というよりは、ナチスによる一方的な虐殺が始まった。
この無惨なワルシャワ蜂起は1944年のきょう9月2日に終わった。
ポーランド国内軍には1万5000人以上の死者、ワルシャワ市民には15〜20万人の死者が出て、蜂起が鎮圧された後、ドイツ軍によって70万人の市民が追い出された。
ドイツ軍と戦うポーランド国内軍の兵士
ドイツ軍に降伏する国内軍の兵士
ワルシャワ市民は女性も子どもも虐殺された。
ヒトラーの側近だったヒムラーは、自分たちに歯向かった報復として、「ワルシャワは地球上から完全に消滅し、1つの石も残してはならない。すべての建物は基礎部分まで破壊されなければならない」と命じ、ワルシャワは破壊し尽くされた。
廃墟となったワルシャワ
1945年1月までに、建物の85%が破壊された。そのうち25%は蜂起の結果で、35%は鎮圧後のドイツ軍による破壊活動の結果だ。
なぜソ連はポーランド国内軍に蜂起を呼びかけ、実際にそれをさせたのに、自分たちは動かなったのか。なぜ最も重要なタイミングで裏切ったのか。
その理由については、ソビエト連邦が崩壊した後に、機密解除された文書に記されていた。
それによると、スターリンはポーランドをソ連の影響下に置きたいという政治的欲望のため、戦術的にワルシャワへの進軍を止めていた。国内軍をドイツ軍と戦わせ、疲弊させることで、ポーランドを簡単に手に入れ、その後の支配も楽になると考えたらしい。
Declassified documents indicate that Joseph Stalin had tactically halted his forces from advancing on Warsaw in order to exhaust the Polish Home Army and to aid his political desires of turning Poland into a Soviet-aligned state.
こうして、ポーランドの人たちは見殺しにされた。
第二次世界大戦で、国民の死亡率が最も高かった国がポーランドだ。
スターリンの計画通り、ポーランドは戦後もずっとソ連の支配を受けつづけた。
世界の歴史を見ても、「隣国ガチャ」でこれほどひどいハズレを引いた国はなかなか無い。
ナチス・ドイツの「アウシュビッツ強制収容所」が実はポーランドにあることを知らない人が、日本人には多いです。もう一つ有名な「リガ強制収容所」はラトビアにあります。
なぜ、ナチス・ドイツは強制収容所をドイツ国内に作らなかったのでしょうね? さすがにドイツ国内に設置したのでは、国民から何らかの反感を持たれる恐れがあるとでも思ったのでしょうか。
当時、最大のユダヤ人コミュニティがあったのはポーランドだったので、そこに収容所をつくったのかなと思います。
くわしいことはわかりませんが。