【無礼 VS 野蛮】19世紀、日本と朝鮮はこう考えていた

 

1868年の5月、江戸城が新政府軍に明け渡され、将軍・徳川慶喜は水戸に移って謹慎生活(蟄居)したことで、江戸幕府は完全に消滅した。
ということで、この年のきょう10月23日は、新しい日本を感じさせる出来事が多発している。

・元号が慶応から明治に改元された。
・明治元年となったと同時に、一世一元の制がはじまった。これは天皇1人につき、1つの元号を定めるというもので、現在までつづいている。
・明治六年の政変が起きた。

ここで取り上げるのは、ラストの明治六年の政変
このとき明治政府内は、征韓論を主張する西郷隆盛&板垣退助らのグループと、国内改革を主張する大久保利通&木戸孝允らのグループに真っ二つに分かれ、激しく対立していた。
結局、国内の政治や経済を充実させることが優先され、朝鮮に軍事侵攻をしようとする征韓論は退けられる。
これを受けて、征韓派のボス・西郷隆盛は辞表を出して政府を去り、故郷の鹿児島へ戻ってしまった。ほかにも征韓派のメンバーは激怒し、約600人の軍人や官僚が一斉に辞職した。
これが1877年に起きた日本最大の内戦、西南戦争のフラグになる。

 

この明治六年の政変では、征韓論がキーになっている。
なんで西郷らは朝鮮を討とうと考えたのか?

まず1868年に、明治政府が「このたび江戸幕府が滅亡して、新しい日本が成立しました。つきまして、国交を結んで交流をしましょー」といった内容の国書を送った。しかし、その文書の中に、江戸時代にはなかった「勅」「皇」の文字が入っていたため、朝鮮政府は気分を悪くし、日本のリクエストを拒否する。
当時の朝鮮は冊封体制に入っていて、国王は中国皇帝を主君、自身を臣下であることを認めていた。だから、朝鮮国王と中国皇帝は対等ではない。王は皇帝より下の存在だ。
それで例えば、中国ではめでたいことがあると皇帝に「万歳」という言葉を使っていたが、朝鮮では控えめに「千歳」という言葉が使われていた。
天皇の「皇」や「勅(みことのり:天皇の命令や言葉)」といった言葉は、中国皇帝だけが使用できる言葉だったから、臣下である朝鮮はその言葉のある文書を中国からしか受け取ることができなかったのだ。日本の国書を受け取れば、日本と中国を対等とし、自分はワンランク下であることを認めてしまうことになる。

そんなことから、朝鮮政府は日本の国書を拒否し、開国に応じなかった。
明治政府内ではそんな朝鮮の態度を「無礼だ!」と反発の声が広がり、それが韓国を討つべしという征韓論へつながっていく。
朝鮮の立場からしたら、中国以外の国からそんな文書を受け取るわけにはいかないから、仕方がない。
しかし、これはそんな対外的な理由だけではなかった。

 

斥和碑(せきわひ)
1871年に大院君が朝鮮全土に建てた石碑で、鎖国政策を維持する決意が示されている。

 

朝鮮は江戸時代の日本と同じように、鎖国・攘夷政策を取っていた。
そして1866年にフランスと戦い(丙寅洋擾)、これに勝利し、外国を排除する政策は正しかったという自信を深めた。
さらに1871年にアメリカとも戦って(辛未洋擾)、撃退することに成功したことで、朝鮮政府はこれで完全にカン違いし、大院君は次のような文を刻んだ斥和碑を全国に立てさせた。

「洋夷侵犯 非戦則和 主和売国」

西洋の国がやってきたら戦ってでも追い返せ、和親を主張する者は売国奴だ、といった意味。
この頃、朝鮮政府は鎖国・攘夷政策は正しいと信じ、これを維持しようと考えていた。
朝鮮にはその考え方を支える儒教的な世界観があり、それが日本と国交を結ばなかった背景になっている。
それはこんなものだ。

世界は儒教の道徳が支配する中華文明の世界と、それが及ばない野蛮な世界の二つに分かれている。その世界観からすると、日本は中華文明圏から外れ、西洋と同じ野蛮国となった。朝鮮にはそんな倭洋一体の日本観があり、否定的な影響を与えていた。

세상을 유교적 도덕이 지배하는 중화의 문명세계와 유교의 교화가 미치지 않은 야만세계로 이분하는 화이론적 세계관에 입각해 일본을 중화문화권 밖으로 이탈하여 서구의 양이들과 같아진 야만국이라고 보는 왜양일체의 부정적 일본관이 작용하고 있었다.

조선의 일본 국서 거부 

 

このとき、日本は西洋を参考に国内改革を進めていたから、中華文明を崇拝する儒教的な世界観を基準にした場合、「野蛮な国」となる。
19世紀後半、日本は朝鮮を「無礼」と考え、朝鮮は日本を「野蛮」と見ていたため、交流することは不可能だったのだ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。