【日韓の異なる認識】略奪文化財ではなかった鎌倉の観月堂

最近、韓国が歓喜にわいた。

聯合ニュース(2025.06.24)

鎌倉大仏殿高徳院の「観月堂」 100年ぶりに韓国に

中央日報(2025.06.25)

100年ぶりに日本から韓国に戻ってきた「観月堂」…続く悲運の歴史ミステリー

東亜日報(June. 25, 2025)

朝鮮殖産銀行が日本人資産家に渡した「観月堂」、100年ぶりに帰還

「鎌倉の大仏」で有名な高徳院の境内には、朝鮮時代の建築物「観月堂」があった。高徳院はその建物を韓国に譲ることを決め、観月堂は一度解体された後、その瓦や石材、木材などすべてが韓国に送られた。
これまで海外から韓国に文化財が戻ることはあったが、建物全体が戻るのはこれが初めてだったため、韓国の全国紙は一斉にこの「快挙」を報じた。

 

観月堂

 

個人的には、この観月堂には複雑な思い出がある。
10年ほど前、東京に住んでいた20代の韓国人女性が「鎌倉の大仏を見たい!」と言ったので、高徳院へ連れて行くことにした。大仏の周りを歩いたり、記念写真を撮ったりして、大仏の裏に回ると、少し変わった建物を発見した。それが観月堂だ。
赤、青、黄、白、黒の5色で描かれた丹青(タンチョン)があって、このデザインは韓国の王宮やお寺などにあるものだから、見た目の古さからして、これは朝鮮時代の建物に違いない。彼女もそう思ったが、反応は少し違った。
不機嫌そうな表情になり、「どうして韓国の建物がこんなところにあるんですか?」と怒りを感じさせるトーンで聞いてくるから、思わずあせった。

彼女は、この建物が植民地時代に日本に奪われたもの、いわゆる「略奪文化財」だと考えていたのだ。韓国では、統治時代に多くの文化財が日本に「奪われた」という見方が常識的にあるため、彼女も「観月堂」を見て、すぐにそれを思い浮かべた。
この時、建物の歴史を説明するものはなく、高徳院にあった理由もわからなかったが、「きっと合法的にここに運ばれたもので、問題はない」と言ったけれど、その韓国人がどう思ったかはわからない。

 

しかし、今回、聯合ニュースの記事を見て、「観月堂」の背景が明らかになった。韓国の学会では次のように考えられているという。

「1900年代初頭、純貞孝皇后(純宗の妃)の父・尹沢榮(ユン・テギョン)の所有だったが、彼の巨額の借金により朝鮮総督府傘下の朝鮮殖産銀行に渡った」

大韓帝国の末期、皇后の父親が多額の借金を抱えていて、銀行からお金を借りるために、観月堂を資産として提供した。後に、朝鮮殖産銀行が経営難になると、山一證券初代社長の杉野氏に贈与し、それと引き換えに銀行が融資をうけた。観月堂は日本に移された後、1930年代に高徳院へ寄贈された。

つまり、観月堂は正当な手続きを経て日本に運ばれたもので、「略奪文化財」ではなかった。「悲運の歴史ミステリー」のはじまりは、韓国の貴族がかかえた巨額の借金だった。
気になるのは、韓国メディアの報道の中で「返還」という言葉が使われていたこと。観月堂は高徳院によって「譲渡」か「寄贈」されたものなのに、「返還」だと「日本に奪われた」という前提になってしまう。

 

2010年、日本政府が両国の友好を目的に、韓国の文化財を譲渡した際、この文化財は略奪されたものではなく、法的な問題はないため、「引き渡す」という言葉を使った。しかし、韓国の外交部(外務省)はその部分を意図的に「返還」と訳したため、韓国の記者は驚いたという。

中央日報(2010.08.12)

「引き渡す」と「返還」は厳然に違う。返還は奪ったことを認めて返すことであり、引き渡しは自分の所有権や品物を渡してやることをいう。

【取材日記】「菅首相談話」わざわざ誤訳した韓国外交部

 

中央日報の記者が関係者に話を聞いたところ、外交部は「引き渡し」という表現を使いたくなかったと説明した。記者は、韓国民としてその気持は理解できるが、日本の首相談話を自分たちの主張に合うような表現に変えた点については、疑問を感じている。韓国政府としては「略奪文化財」にしたいようだ。

今回、高徳院の善意で実現した観月堂の引き渡しについて、韓国内で「日本が奪ったことを認めて返した」と誤解することなく、外交的勝利と誇ることもなく、感謝の気持ちで応えてくれるといいのだけど。

 

 

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • > 不機嫌そうな表情になり、「どうして韓国の建物がこんなところにあるんですか?」と怒りを感じさせるトーンで聞いてくるから、思わずあせった。
    > この時、建物の歴史を説明するものはなく、高徳院にあった理由もわからなかったが、「きっと合法的にここに運ばれたもので、問題はない」と言ったけれど、

    ああ、韓国人アイ絵によく「あるあるパターン」ですね。

    > 大韓帝国の末期、皇后の父親が多額の借金を抱えていて、銀行からお金を借りるために、観月堂を資産として提供した。後に、朝鮮殖産銀行が経営難になると、山一證券初代社長の杉野氏に贈与し、それと引き換えに銀行が融資をうけた。観月堂は日本に移された後、1930年代に高徳院へ寄贈された。
    > 2010年、日本政府が両国の友好を目的に、韓国の文化財を譲渡した際、この文化財は略奪されたものではなく、法的な問題はないため、「引き渡す」という言葉を使った。しかし、韓国の外交部(外務省)はその部分を意図的に「返還」と訳した

    ああ、いつものですね。呉善花さん、何とかしてくれんかな。

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