日本人として知るべき歴史 ソ連軍が北海道占領をあきらめた理由

80年前の8月9日、長崎市に原子爆弾が落とされ、7万4千人が命を奪われた。この悲劇について、日本人として知っておくべき写真がある。

 

 

ここは長崎の火葬場で、原爆の犠牲となった人たちを葬っていた。はだしの少年は亡くなった弟を背負い、弟の遺体を焼く順番を待っている。
くわしいことは下の記事を読んでほしい。

【8/9・長崎】日本人なら知っておきたい「焼き場に立つ少年」

8月9日について、日本人としてもうひとつ知っておいてほしいことがある。
長崎に原爆が落とされたこの日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、当時日本の領土だった満州、朝鮮、樺太に攻め込んできたのだ。
長崎への原爆投下とソ連の侵略により、日本はすべての希望を失い、降伏を決めた。しかし、降伏が早まったからといって、この2つの蛮行が正当化されることはない。

ソ連軍の進攻で、多くの日本の民間人が虐殺されたのだから。

【最大級の虐殺】終戦の前日、日本人に起きた「葛根廟事件」

【尼港・敦化事件】日本の”蛮行”を強調するロシアがした蛮行

 

日本軍の戦車部隊(占守島の戦い)

 

日本に攻め込んだソ連は、北海道の留萌と釧路を結んだラインの北側を奪おうと画策していた。
1945年2月、イギリス、ソ連、アメリカの首脳が集まってヤルタ会談を開き、ソ連が北方領土を占領することが認められた。しかし、実際にはソ連は北海道のほぼ半分を奪おうとしたため、アメリカの強い反発を招いた。

もしこの時、ソ連が北海道を占領していたら、現在の日本がどうなっていたのか、まったく想像することができない。
この厄災から日本を救ってくれた要因に、占守島(しゅむしゅとう)の戦いがある。

Soviet forces suffered heavy losses in the Battle of Shumshu during the invasion of the Kuril Islands

Proposed Soviet invasion of Hokkaido

 

占守島は千島列島の東端にあり、日本が降伏を発表した後、8月18日からここで日本軍とソ連軍の戦闘が始まった。
最終的には日本軍が降伏したが、ソ連軍に想定を超える大きなダメージを与えた。これを受けてソ連軍の最高司令部では、北海道への侵攻はヤルタ協定に違反するだけでなく、日本軍の激しい抵抗により失敗する可能性が高いという懸念が高まる。
北海道侵攻は予定日の2日前、8月22日に中止され、代わりにソ連軍は千島列島の占領に集中することとなった。

ソ連軍に北海道の半分を奪われるというのは、最悪レベルの悪夢だ。アメリカは沖縄を日本に返還したが、ソ連にそんなことは期待できない。北方領土は今も占領されたままだ。
ソ連に北海道への侵攻を断念させた日本軍の奮闘も、日本人としてぜひ知っておきたい。

 

 

東南アジアで戦争と平和を知る。日本軍のインパール作戦とは?

【国益優先】アメリカが京都に原爆を落とさなかった理由

【みんなありがとう】原子爆弾に奪われた佐々木禎子の夢

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

コメント

コメントする

目次