【三船殉難事件】“脳内お花畑”の日本、信じたソ連に攻め込まれ

8月は原爆投下や米国への降伏など、日本人として忘れてはいけない出来事がたくさんある。1945年8月22日に起きた「三船殉難事件」もその一つ。

現実を無視して、自分の都合のいい空想を思い描く人がいると、ネットではよく「(脳内)お花畑」とバカにされる。考えていることが非現実的で、「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前の中ではな」と言いたくなるような人がたまにいる。
太平洋戦争末期の日本がまさにそんな感じだった。

1945年2月、ヤルタ会談でアメリカのルーズベルト大統領とソ連のスターリン書記長は、ソ連が日ソ中立条約を破棄し、日本に侵攻することで合意した。これが今も続く北方領土問題のはじまりだ。
一方で、日本ではその年の4月ごろ、日ソ中立条約が1946年4月まで有効だったため、それまではソ連が攻めてこないだろうと、現実の真逆を信じていた。そして、勝ち目のなかった日本はソ連に仲介役になってもらい、アメリカとの和平交渉をしようとしたが、ソ連に断られた。
すでにソ連は侵攻を決め、アメリカの支持も取り付けていたのだから、日本の要請を聞くはずがなかったのだ(日本の降伏)。

 

小笠原丸

 

8月8日、ソ連は(当時日本領だった)満洲や南樺太への侵略を開始。
8月15日、日本がポツダム宣言を受け入れ降伏を発表した後、アメリカ軍やイギリス軍は戦闘を停止したが、ソ連は攻撃を止まらず、空爆など容赦ない攻撃をおこなった。
樺太では、老人や子供、女性を本土に避難させるため、疎開船に乗せて運ぶことが決められた。しかし、8月22日、小樽に向かって航行していた小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸がソ連軍の潜水艦から攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈み、1700人以上が死亡した。
連合軍から指示を受け、船は攻撃されないための無線信号を出していたが、それが通じる相手ではなかった。
ちなみに、小笠原丸には1人の少年が乗っていて、途中の稚内で降りたため、この悲劇を免れた。その少年は後に、大鵬という伝説的な横綱となる。

 

三船遭難事件の2日前には、南樺太で真岡郵便電信局件が起きた。女性交換手がソ連軍の侵攻を伝えつづけ、「皆さん、これが最後です。さようなら」と言い残して、9人が自決した。

【これが最後です】ソ連軍の侵攻で散った“九人の乙女”

この気高い精神は、東日本大震災のさい、防災無線で地域住民に避難を呼びかけ、津波にのまれて殉職した遠藤未希さんにも通じる。野田総理はその時、遠藤さんの行動を「自らの命を顧みず、使命感を貫いた」と称賛した。

合意を一方的に破って日本を侵略し、8月15日を過ぎても攻撃を止めなかったソ連軍の蛮行は非難されるの葉当然。しかし、希望的観測のせいか、現実がまるで見えていなかった当時の日本政府にも、三船遭難事件や真岡郵便電信局件の責任の一部はあっただろう。
「ソ連は合意を守って攻めてこない」と勝手に信じ、北方の防衛をおろそかにしたのはミスだったし、ソ連にアメリカとの仲介役になってもらおうとする発想も甘すぎた。
今の日本政府がそんな「お花畑脳」ではないと信じている。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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