きょねん発表された世論調査で、タイは親日的な国と思われていたけれど、じつは超親日国であることがわかった。なんと、国民の90%以上が日本を好きだと答えたのだ。
そんな背景もあって、今では日本に関することを発信するタイ人インフルエンサーが大渋滞を起こしていて、差別化が難しくなっている。そんななか、この「ナインだよ」ちゃんは、独特のゆるさと日本語の「うまくなさ」を上手にアピールしてブレイクした。
最近、静岡の学校で日本語を学んでいる20代のタイ人女性(マライ)と会って、日本とタイの関係について話をしたので、その内容を「大学生の男女のゆるい会話」風に書いていこう。

バンコクのマックスバリューでやってた「千葉県フェア」
シラチャの「日本村」
ケンイチ:マライって、タイのどこ出身なの?
マライ:シラチャってとこ! バンコクのスワンナプーム空港から、車で南に1時間半くらいのところにあるんだけど、知ってる?
ケンイチ:シ、シラチャい。
マライ:はぁ? … マジでそういうのいらんしウザいからやめて。シラチャには日本人がたくさん住んでて、日本のレストランとかスーパーもあるし、日本人学校とか幼稚園もできたんだよ。
ケンイチ:へー! 昔、日本企業が進出してるとは聞いたけど、今じゃ家族も呼んで日本人街みたいになってるんだ!
マライ:そうなの! 3年くらい前にドンキ(DonDonDonki)もオープンしたし。
ケンイチ:え、鈍器法廷まで!?
マライ: だからホントやめてって!
それでね、日本人とタイ人が交流できる「シラチャ日本村」っていうめっちゃ広い施設もできたの。金閣寺っぽい建物とか日本庭園っぽい庭があって、「和食さと」とか「幸楽苑」、「ダイソー」、「マックスバリュー」で食べたり買ったりできるんだ。
ケンイチ:その「日本村」にもドンキ入ってるんだ?
マライ:そゆこと。夏祭りや七夕祭りなんかの日本体験イベントもあるの。タイ人は日本が大好きだから!

パクチーの国籍
マライ:でもねー、タイ人は日本に関心があるけど、日本でタイはあんまり知られていないと思うのよねー。たとえば、「パクチー」ってどの国の言葉か知ってる?
ケンイチ:この流れでスワヒリ語とかロシア語とかは絶対ないでしょ。あれってタイ語だったんだ! パクチー好きな「パクチスト」なら知っているんじゃないの。
マライ:そうなのよ〜。日本で「パクチー」って言葉は有名だけど、その国籍はあんま知られてない。
ケンイチ:まあ、そんなもんじゃない?
「モロヘイヤ、オクラ、アロエは元々どこの言葉?」って聞かれて、エジプト方言、西アフリカの言葉、アラビア語ってサラッと答えられたら、「すげー」ってなるレベルじゃん。
マライ:でも、生活の身近なところにタイに関わるものがあるのに、日本人が知らないのはちょっと悲しい。パクチーとコリアンダー(英語)が同じってことも知らない人、結構いるし。
ケンイチ:へ、へ〜、そんな無知なヤツもいるんだ〜。
マライ:また一匹見つけた。
ケンイチ:俺にも人権があるからさ、「一頭」でカウントしてくれないかな。
今スマホで調べたらさ、たしかにパクチーとコリアンダーは同じセリ科の植物らしい。でも、日本では生の葉を「パクチー」と言って、乾燥させて粉状にしたスパイスを「コリアンダー」と区別している気がする。

アユタヤの日本人町
マライ:知ってる? タイと日本の関係って150年くらい前にはじまったのよ。
ケンイチ:って思うじゃないですか? 1887年の「日タイ修好宣言」で国交が開かれたから、正式にはそうなんだけど、実はそのもっと前から関係はあったんだよ。
マライ:え? そうなの? 初耳なんだけど。
ケンイチ:徳川家康とタイ(アユタヤ朝)の王様のあいだで、手紙とか贈り物がやり取りされてた記録があるから、600年くらい前には交流がはじまってるんだ。記録にはないけど、もっと前かも。
17世紀にタイに移住した山田長政って知ってる? アユタヤの王様に信頼されて活躍した日本人なんだけど。
マライ: ヤマダナガマサ…聞いたことないなー。
ケンイチ: さっき「オクラ」が出てきたけど、「オークヤー・セーナーピムック」ってタイ語ならわかるかな? これ、山田長政がタイでつけてもらった名前なんだけど。
マライ: そこでオクラにふれる必要ある? でも、「オークヤー・セーナーピムック」なら知ってる!
ケンイチ:17世紀の前半は、タイに移住する日本人が多くて、アユタヤに日本人町ができた。長政はそこのリーダーをしていたらしい。
マライ:へぇー、それが最初で、シラチャの日本村は最新版なんだ! でも、なんでそんなにたくさんの日本人がタイへ来たの? 観光で来るわけないし、彼らはどんな仕事をしてたの?
ケンイチ:当時も今と同じで、需要と供給が一致したから。
そのころ、日本では戦国時代が終わって戦いがなくなりつつあった。とくに徳川家康が豊臣家を攻め滅ぼして、1615年に「元和偃武(げんなえんぶ)」って平和宣言をしたころには、武士は活躍する場所を失っていた。
マライ:ケンちゃん、ちょっと輝いて見える。「匹」から「頭」に昇格してあげるね。
ケンイチ:そりゃどうも。で、そのころタイはビルマと敵対してて、アユタヤの王様は経験豊富な戦士が欲しかった。だから、武士を傭兵として雇うことにしたんだよ。
徳川幕府にとっても、まだ戦いをしたがってるヤツなんていらなかったからウィンウィンだ。
マライ:へー! 日本の武士がタイの兵士になって、ビルマと戦ってたなんて、なんかドラマみたい。
ケンイチ:史実は小説よりナンチャラって言うし。つまり、日本とタイには長い交流の歴史があって今もつづいているわけだ。

ビルマ軍に滅ぼされたアユタヤの首都

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