12月18日は1965年に、日韓基本条約が発効し、両国の国交が成立した日。つまり、今年はそれから60周年という記念の年になる。
人間界で60歳と言えば「還暦(かんれき)」というお祝いの節目だ。
干支は60年で一周し、自分の生まれた干支に戻るから、還暦には、生まれ直して人生を再スタートさせるという意味がある。だから、赤ちゃんに還るという意味で、赤いちゃんちゃんこを着る風習がある。
干支という共通文化を持つ日本と韓国にとって、60周年は重要な節目だから、今年はさまざまな友好イベントが開かれ、両国関係を問い直すメディアも多かった。
実際のところ、日韓関係は最初からボタンを掛け違えていたのだ。

国交が正常化し、握手する日韓の外相(1965年12月18日)
第二次世界大戦の後、日韓両国は話し合いを重ね、1965年6月に「日韓基本条約」が調印され、同年12月18日にソウルで外相が確認し、両国の国交はついに正常化された。この際、日韓は次の3点で合意した。
・外交関係の開設:互いに大使館を設置し、正常な国家間交流をスタートさせる。
・唯一の合法政府:韓国政府が朝鮮半島における「唯一の合法的な政府」であることを確認する。(この立場からすると、北朝鮮は「韓国内に存在する非合法組織」となる。)
・経済協力:日本が韓国に対し、有償・無償合わせて5億ドルの経済支援金をわたす。
この5億ドルは、当時の韓国の国家予算をはるかに上回る額で、後の「漢江の奇跡」と呼ばれる急速な経済発展の原動力となった。
しかし、両国はもっとも重要な点では合意していなかった。それが、1910年の「日韓併合」の法的な解釈だ。
韓国側は併合を国際法違反とみなし、日本の統治を不法であったと主張。これに対し、日本側は、当時の国際慣習や手続きに基づいた「合法的な手続き」であったと反論する。
意見が真っ向から激突し、両者ともにまったく歩み寄ることができなかった。しかし、それでは国交正常化を実現させられないから、日韓は不法か合法かの判断には踏み込まず、それは棚上げにして握手をすることとなった。
日本と韓国は核心的な部分をあいまいにして、見切り発進のように関係をスタートさせた。
日韓基本条約が発効して以来、この「認識のズレ」という巨大地雷はずっと存在していたが、あまり目立つことはなかった。
しかし、2018年に韓国側がふれて大爆発する。
この年、韓国大法院(最高裁)は元徴用工訴訟を巡る判決で、日本の主張を退け、「日本の朝鮮統治は不法な植民地支配であった」という前提に立ち、日本企業に慰謝料の支払いを命じた。
日本政府は「国際法違反であり、請求権の問題は1965年に完全かつ最終的に解決している」と猛反発し、日韓関係は「戦後最悪」と言われるほど冷え込んだ。
この問題は当時の文 在寅(ムン・ジェイン)大統領には解決できず、2022年に発足した尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権に持ち越された。
日韓関係の「冷戦状態」を打破するために、尹大統領は「第三者弁済」方式を打ち出す。
これは、1965年の日本の支援で恩恵を受けた企業を中心に、韓国企業から寄付を集め、日本企業の代わりに原告へ賠償金に相当する額を支払うという仕組みだ。
もっとも、日本側はそもそも判決を「国際法違反」とみなし、受け入れていないため、支払う義務も認めていない。だから、本来は「肩代わり」という表現もおかしいのだが、韓国側で解決するのなら、そこまで細かいことにはツッコんでいない。
韓国政府・企業側には日本の統治を「不法な支配」とみなし、日本企業もこの「第三者弁済」方式に参加するべきだ、つまり、カネを出すべきだと考えている。しかし、日本側はあくまで「合法」だったと主張しているから、それを受け入れることはできない。
60年、日韓関係をスタートさせたときから認識の違いがあり、それは今後も埋めることはできない。還暦を迎えたこれからは、「見えている地雷」を踏まないように注意するしかない。
日韓関係のいま まだ韓国では、地上波で「愛してる」も言えない

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