日本人と天皇|歴代の将軍もマッカーサーも利用した絶大な権威

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日本にいる「二人の皇帝」

1853年に黒船を率いてやってきて、日本人のドギモを抜いたアメリカの軍人ペリー。

彼は当時の日本の政治体制について、次のように書き残している。

日本には、二人の皇帝が並び立っているという奇妙な特徴がある。ひとりは世俗的な役割を、もうひとりは宗教的な役割を担っている

「ペリー提督日本遠征記 (角川ソフィア文庫)」

ここでペリーが「二人の皇帝」と呼んだのは、天皇と将軍(徳川家)のこと。

天皇と将軍による二重統治体制なんて、世界で日本にしかなかったから、ペリーが「奇妙」と感じたのも無理はない。

彼は天皇についてこう記している。

政治上は無力とはいえ、やはり帝は神々にも劣らないほどに崇められている。

江戸時代の日本では、世俗的な役割、つまり政治的な権力を握り、実際に国を動かしていたのは将軍だった。
一方、宗教的な役割、つまり神聖な存在としての力(権威)を持っていたのが天皇だった。

このペリーの見方は正しい。

およそ100年後にやってきて、ペリーと自分を重ねたもうひとりのアメリカの軍人も、日本における天皇の「神聖」に注目した。

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なぜ将軍は天皇の「権威」を必要としたのか?

鎌倉幕府から江戸幕府までの約700年にわたって続いた武家政権において、日本の実質的な支配者は武士のトップである将軍だった。

しかし軍事力だけで、日本を完全に支配することはできなかった。
そこで、歴代の将軍は「天皇が武士を将軍(征夷大将軍)に任命する」という形式を重視した。

将軍がどんなに強大な実力と武力を持っていても、神々のように崇められる天皇の「権威」を背景にしなければ、全国の武士や民衆を心から納得させて国をまとめることはできなかったわけだ。
これがペリーの言う「奇妙な特徴」の中身だ。

江戸幕府は禁中並公家諸法度を制定し、天皇の行動を縛って政治の世界から遠ざけた。

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しかしその一方で、将軍は自らの支配を正当化するために、その圧倒的な権威を利用して日本を統治していた。

マッカーサーも利用した天皇の権威

武家政権の崩壊から時代は流れ、1945年の8月15日、日本は降伏を受け入れて太平洋戦争は終わった。
その後、日本は、アメリカを中心とする連合国軍の占領下に入る。

戦後の日本で、最高司令官として君臨したのがダグラス・マッカーサーだ。
彼は圧倒的な武力を背景に政治的実権を握り、日本における絶大な権力者となった。
結果的に彼もまた、かつての将軍たちと同じように天皇の権威を利用することになる。

終戦直後、連合国の中には天皇の戦争責任を厳しく問い、処罰するべきだという強い声があった。
しかし、マッカーサーは考えた。

もし天皇を戦争犯罪者として処罰し、社会から排除したらどうなるか?
そのうえで圧倒的な軍事力だけで日本を支配しようとすれば、日本人から激しい抵抗活動が起こることは必至。

アメリカに反発して日本が「共産主義化」すれば、アメリカにとってはこれ以上ないほどの悪夢だ。

戦後の混乱状態にあった日本で、この国を早く落ち着かせてスムーズに統治するためには、天皇の存在が不可欠であると彼は結論づけた。

 

1946年の極東国際軍事裁判(東京裁判)で、主席検事だったジョセフ・キーナンが「天皇を戦争犯罪人として起訴しない」と明言し、天皇が罪に問われることはなかった。

また、マッカーサーは天皇を日本の象徴として地位づけ、その存在を通じて国民をまとめ、日本の民主化や復興に取り組んだ。

結果的にマッカーサーの狙いどおり、日本人からの大きな抵抗はなく、戦後統治は「順調」に進んだ。

彼の政策は多くの日本人に受け入れられた。
「元帥の功績を永遠に記念するため」という目的で、「マッカーサー記念館」(マッカーサー神社)を建設する計画があったほどに。(ダグラス・マッカーサー
令和に生きるボクとしては、この時の日本人の感覚がよく分からないのだけど。

時代を超えて続く日本の「権威と権力の分離」

戦後の日本で絶大な権力者だったマッカーサーでさえ、日本の歴史に深く刻まれた天皇の存在感の大きさ、絶大な権威を認めた。

そして、江戸時代までの武家政権の将軍たちと同じように、天皇の権威をうまく利用して日本を統治した。
実際、このやり方は大成功だった。

マッカーサーも天皇について、「政治上は無力とはいえ、やはり帝は神々にも劣らないほどに崇められている」と認識していたのだろう。

 

こうして見ると、日本の政治体制には時代を超えた「一貫性」があることが分かる。

時の流れとともに権力者は移り変わるが、天皇の権威はいつも日本人の精神の根底にあり続け、政治において決定的な役割を果たしてきた。

将軍も戦前までの日本の指導者たちも、そして占領軍の最高実力者さえも天皇を排除することなく頼りにして、自身の正統性を確立して統治を行ったのだ。

日本には伝統的に、権力と権威が分離するという「奇妙な特徴」があった。
その政治体制を前提にしなければ、きっと日本をうまく統治することはできない。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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