8月20日は、日本人にとって忘れてはいけない日だ。
1945年のこの日、樺太・真岡の郵便局で、重要な通信業務を続けていた女性の電話交換手が、ソ連軍の侵攻を受けて服毒自決し、9人が亡くなった。
この尊い犠牲を風化させてはいけない。

アメリカとロシアへの対照的な感情
2025年の内閣府「外交に関する世論調査」を見ると、日本人のアメリカとロシアに対する印象は、「真逆」であることがわかる。
アメリカに「親しみを感じる」と答えた人の割合は 76.9%で、「感じない」は 22.5%だった。
前年の調査では「親しみを感じる」が 84.9%、「感じない」は 14.2%だったから、全体的に見て、日本人の圧倒的多くがアメリカを好きなことがわかる。
一方で、ロシアに「親しみを感じる」と答えた人の割合はたった 6.4%で、「親しみを感じない」という人は 93.1%もいた。
前回の調査結果と比べても、大きな変化はない。
日本人のロシアを見る目は冷え切っている。
これほどの明暗が分かれた原因の一つに、「降伏後の振る舞い」がある。
1945年8月15日、日本がポツダム宣言の受け入れを発表した後、日本に対するアメリカとソ連の態度は大きく違っていたのだ。
アメリカ軍が示した「フェア」な態度
太平洋戦争の末期、フィリピンにいて、日本軍と行動をともにしていた新聞記者の石川 欣一(きんいち)は、日本の敗戦を知って米軍に降伏した。
当時は日本に恨みを持つフィリピン人が多かったが、米軍は何度も、戦争捕虜となった自分たちの「楯」になってくれたという。
石川はそのことについてこう感謝している。
「この時ばかりでなく、米国兵は実によく我々を守ってくれた。」
その後、さまざまなアメリカ人と接した石川は、「アッパレな態度」だと感じ、それは彼らがとても大事にしている「フェア」の価値観に由来すると考えた。
既にプリゾナーとなり、保護に身をゆだねた者は、どこまでも保護するという態度は、喧嘩相手が「参った」といって地に倒れた上は、それをいかに憎み怨んでいたにせよ、ツバをひっかけたり、足蹴にしたりしないという、フェア・プレイの精神のあらわれであろう。
「比島投降記 ある新聞記者の見た敗戦 (石川 欣一)」
日本人にも、敗者の名誉を大事にするという価値観があったから、アメリカ人のこうした態度に感心したのだろう。
石川とは違う元日本兵も、アメリカ兵は敗残兵の日本人をバカにすることはなく、敬意を持って接してくれたと手記に書いていた。
このフェアな態度の反対側にいたのが、ソ連だ。
ソ連軍の「裏切り」と容赦ない侵攻
日本とソ連は「日ソ中立条約」を結んでいたが、ソ連は一方的にこれを破棄し、1945年8月9日、二度の原爆投下を受けて「死に体」となっていた日本に襲いかかる。
この突然の対日参戦に、日本人は「背後から刺された」ような強い衝撃を受けたはずだ。
さらに深刻なのは、日本が降伏の意思を示した8月15日以降も、ソ連軍が満州や千島列島、樺太への攻撃を継続したことだ。
アメリカ軍は15日以降の戦闘を停止したが、ソ連軍はやめなかった。
日本軍には「抵抗力」がほとんどなく、満州では「葛根廟事件」が起こり、冒頭で触れた真岡郵便電信局事件の悲劇もあった。

この時に北方領土が占領され、まだ日本に戻ってきていない。
思えば、1972年のアメリカによる沖縄返還のように、領土問題を「平和的」に解決できた例は世界的にもめずらしい。
悲劇は対日参戦だけにはとどまらない。
戦後、日本の軍人や民間人など数十万人が、シベリアなどの過酷な環境に連行され、長期間の強制労働を強いられた。
この「シベリア抑留」によって、約6万人が死亡したといわれる。

対米・対露感情を形作った「原点」
降伏した日本に対し、アメリカは「フェアな精神」で接したが、ソ連は約束を破って後ろから攻撃し、降伏後も戦闘を続けて日本人に多くの犠牲者を出した。
もちろん、日本を占領統治していたアメリカは徹底した検閲を行い、原爆投下への批判や、米軍兵士による犯罪行為の報道を禁じ、言論の自由を奪ったから、「完全にフェア」というわけではない。
それでもソ連の態度に比べたら、アメリカの態度は立派だったと評価することはできる。
現在、日本人の 77%がアメリカに親しみを感じ、93%が ロシアに厳しい視線を向ける大きな理由に、「降伏後の振る舞い」の違いがあることは間違いないだろう。

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