台湾における八田與一の功績と歴史認識
日本は1895年から1945年まで、台湾を統治していた。
その時代、土木技師の八田與一が台湾で巨大なダムを建設したことで、不毛だった大地は穀倉地帯に変わり、人びとの生活は豊かになった。
台湾人は義理堅い。
今でも現地では、八田の命日に記念式典がおこなわれ、人びとが集まって感謝の気持ちを表し、彼の像の前には大量のお供え物が置かれる。

台湾の歴史教育では日本統治の「負の側面」と、近代化に貢献したという「光の部分」の両面が教えられている。
だから、八田與一のような「善人」は忘れ去られることなく、現在でも称賛されているのだ。

八田與一のイメージ
韓国における日本統治時代の認識と例外的な日本人
日本は朝鮮半島も統治していた。
その期間は1910年から1945年までだから、台湾よりも15年ほど短い。
しかし、現在の台湾とは違い、韓国の歴史認識において統治時代は暗黒で、日本は「完全悪」とされている。
だから、「日本の統治が近代化に貢献した」と口にする人がときどき現れるが、勇気の代償として、袋だたきにされるという苦しい思いをする。

よく韓国側は「日本が歴史をわい曲・ねつ造している」と非難するが、韓国の視点から見ると、台湾も歴史をわい曲したり、ねつ造したりしていることになる。
ある台湾人の大学生が、韓国の留学生と日本統治時代の話をした際、日本の政策が台湾の近代化に貢献したことに言及すると、「あなたの言っていることは理解できない……」と絶句されたという話を聞いた。
だから統治時代の日本人で、韓国の人たちに感謝される人物はほぼいない。
日本軍の兵士が「神」として尊敬されることは天地がひっくり返ってもありえない。

しかし、そんな韓国にも例外的な日本人はいる。
その代表的な人物が「浅川巧」だ。
彼は総督府で山林課職員として働き、植林事業に取り組んで、朝鮮半島のはげ山を緑豊かにした。
また、浅川は朝鮮芸術を愛し、集めた陶磁器や家具などのコレクションを朝鮮民族美術館に寄贈した。
そんな功績が認められ、彼は今でも韓国で称えられている。


寿城池(スソンモッ)
大邱の寿城池をつくり、人びとの生活を豊かにした水崎林太郎
解釈を広げれば、韓国にも八田與一のような人物がいた。
それが、当時、現在の岐阜市にあたる地域の町長を務めており、1914年に朝鮮へ移住した水崎林太郎(1868年 – 1939年)だ。
彼は事業に成功して財産を築くと、現地のためにそれを使うことにした。
当時、今の韓国・大邱(テグ)市のあたりは荒れていて、人びとは厳しい生活を強いられていた。
開墾されていない土地も多かったことから、水崎は貯水池を造ることを決めた。
朝鮮総督府に事情を説明すると、現在の価値で約10億円の支援金を得ることができ、それに私財を合わせて10年ほど工事をおこない、ついに農業用貯水池の「寿城池(スソンモッ)」を完成させた。
その結果、大地は生まれ変わった。
池から水が流れ込むようになって荒野は姿を消し、豊かな田んぼや畑になって、米や野菜、果物、花などが生産されるようになる。
水崎もそうした作物を栽培して現地の人を雇ったり、仕事の機会を与えたりして地域の経済を活性化させ、生活も豊かにした。
現地政府(総督府)の協力を得て農業用貯水池をつくり、現地の人たちに喜ばれたという流れは、八田與一とほとんど同じだ。
水崎は亡くなる直前までこの池を管理し、死後もそこにとどまることを希望した。
彼の遺言どおり、池を見下ろすところに朝鮮式の墓がつくられ、遺体が埋葬された。
1945年に日本が降伏し、日本人が本土に引き揚げた後は、水崎を知る農民たちが墓の世話をしていた。
やがて墓地が流失して墓碑だけが残ると、水崎と仲の良かった韓国人の家族が墓を再び整えた。
その後、彼の功績を記念する碑が立てられ、毎年命日の近くに、そこで水崎の子孫や韓国の人たちが集まって追悼式がおこなわれている。
水崎の活動がきっかけで、岐阜市は大邱市にある寿城区と友好関係を結び、今でも日韓交流が続けられている。
現在、寿城池の周囲には散策路やカフェなどがつくられ、市民の憩いの場になっているという。

大邱市にある水崎林太郎の墓
※画像提供は韓国人読者の「Monte Cristo」さん。

歴史認識の壁と日韓友好の危機
しかし、今、水崎林太郎が築いた日韓友好が「危機」をむかえている。
やはり韓国の歴史認識では、日本の統治は世界史上に類例がないほど残酷で、無慈悲に物資を奪って韓国人を苦しめた、ということでないといけないのだ。
完全な暗黒時代だったから、「良い部分もあった」という肯定的な意見は認められない。
台湾とは違うのだ。
2017年に寿城区の議員がおこなった提言には、そんな空気が反映されている。
・誤った歴史認識によって、新たな親日派を生み出してはいけない。
・日帝強占期の36年間が「朝鮮の近代化に役立った」という売国的な植民地史観がまん延することを警戒すべきだ。
・水崎林太郎を追悼してはならない。
・水崎林太郎の故郷である岐阜市とは、すべての縁を切るべきだ。
ソース:「수성구의회」
朝鮮総督府が韓国の近代化に貢献したというのは、現在の韓国の歴史認識からすると、絶対に認められないし、受け入れることもできないらしい。
そんな考え方からすると、水崎林太郎の存在は都合が悪い。
幸いなことに、今のところは現地市民が水崎の墓を守っているから、水崎の追悼式典はおこなわれているし、岐阜市との交流も続いている。
意外なことに、ウィキペディアに「水崎林太郎」の項目がなかった。
彼の生前の功績や日韓友好の架け橋となった事実からも、水崎の名前はもっと日本人に知られていい。
そして岐阜市民は彼の遺志を継いで、寿城区との交流を続けてほしい。

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