韓国と「独立自主」|壬午軍乱で日本を激怒させ、亡国の遠因に

目次

中国が求める「独立自主」と過去の歴史

「韓国は独立自主の立場をつらぬくべきだ」

ハンギョレ新聞の報道によると、いま中国は韓国に対してそう主張し、外部からの干渉を排除することを要求している(2026-08-26)。

「韓国は独立自主であるべき」中国、「下関条約」をくつがえすのか

ここでの「独立自主」とはアメリカと距離をおくことを意味し、中国は韓国に協力的な関係を深めることを期待しているらしい。

歴史をふり返ると、1895年にも似たような出来事があった。
日本は日清戦争で勝利したあと、清(中国)と「下関条約」を結び、「朝鮮が完全無欠な独立自主国である」ことを清に認めさせた。

これによって、朝鮮は数百年にわたる清の「属国」という状態から脱し、名実ともに独立国となった。
しかし、朝鮮に対する清の影響力が排除されたことで、結果的に「日本の植民地支配へと向かう道をひらいた」とハンギョレ新聞は指摘している。

しかし、その背景には、当時の朝鮮の「オウンゴール」もあった。

 

朝鮮の兵士らに襲撃される日本公使館

自分で自分の首を絞めた「壬午軍乱」

1910年の日韓併合で韓国は主権を失い、日本の統治下に入ることになった。
現代の韓国にとって「屈辱の期間」のはじまりだ。

そうなったきっかけはいくつもあるが、そのターニングポイントのひとつが、1882年に起きた「壬午(じんご)軍乱」だ。
結果的にみれば、朝鮮が自分で自分の首を絞める結果となった事件だった。

そのすこし前、朝鮮では国王・高宗の王妃である閔妃(びんひ)を中心とする閔氏政権が政治の実権を握り、日本の支援をうけて、国を近代化するための開化政策を進めていた。

しかし、急激な変化は反発を生む。
時代を変えたくないと思う勢力も存在していたのだ。

閔氏政権は近代的な軍隊である「別技軍」を新設し、指導者として日本人の教官を招いた。一方で、旧式軍隊の兵士たちにとっては、これでは自分たちの存在価値が無くなり、「いらない子」のような立場になってしまう。

実際、旧式軍隊への扱いはひどかった。
給料(俸給)の支給は10ヶ月以上も遅れたり、ようやく配給されたと思ったら、米には大量の砂が混じっていたりした。

当時の朝鮮社会は腐敗にまみれ、役人による横領がまん延していた。役人が途中で米を盗み、重さだけを合わせようとして砂を混ぜたのだろう。

こうした理不尽な扱いに、兵士らはついにキレた。
1882年に暴動を起こすと、政治の腐敗に不満を感じていた民衆も次々と加わり、大規模な「軍乱」へと発展。

反乱軍は日本公使館を襲撃し、軍事顧問や公使館員など10人以上の日本人を殺害した。
国王のいる朝鮮王宮にも突入したが、標的であった閔妃はその前に王宮を抜け出していた。

日本の要求を“丸のみ”した済物浦条約

この大混乱は、朝鮮での騒乱を嫌った清軍が介入し、ひとまず終息した。

この一件では、日本は公使館を焼き討ちされ、多くの命まで奪われたのだから、被害者という立場になる。
当然、きっちりと「落とし前」をつけてもらわなければならない。

朝鮮側も、責任を免れることはできないと自覚していた。
軍乱を起こした犯人の処罰、遺族や負傷者への見舞金支給、朝鮮政府による公式謝罪など、日本の突きつけた要求をほぼ丸のみした。

これを「済物浦(さいもっぽ)条約」という。

この条約の重要な点は、首都・漢城(現在のソウル)に日本軍の駐留が認められたこと。
朝鮮としては、日本から「残された日本人を暴徒から守るため」という正当な名目を立てられたら、承認するしかなかったのだ。

この結果、漢城には軍乱を鎮圧した清軍と、日本軍の両方が存在することになった。
他国の首都に、二つの国の軍隊が居座るというのはまさに異常事態だ。しかし、それが当時の朝鮮の立場で、強国の都合で振り回されていたのだ。

日本と清の両軍は朝鮮の「主導権」をめぐって激しく対立を深め、これが1894年の日清戦争へとつながっていく。
その戦争に日本が勝ち、「日本の植民地支配へと向かう道」がひらかれた。

もし壬午軍乱を起こさなかったら…

歴史において「タラレバ定食」はおかわりが自由だ。
もし、朝鮮の兵士たちが壬午軍乱を起こさなかったら、歴史はどう動いていただろうか。
おそらく首都に日本軍が駐留する事態は避けられただろう。

「自業自得」とまでは言わないが、あの軍乱は朝鮮にとって、国の命運を分ける大きなミスだった。
朝鮮を滅ぼす一因となったのは、朝鮮の内部対立だった。
日本の統治について、韓国では「日本に侵略され、強制的に占領された」とよく言う。
しかし、国を滅ぼす引き金となった要因には、壬午軍乱だけにとどまらない、朝鮮自身の激しい内部対立もあったのだ。

現在の韓国にとっては、100年前の軍乱よりも、「独立自主」を求める中国にどう対応するかが重要だ。

 

 

【壬午軍乱】朝鮮が親日から、“反日”へ変わった出来事

「孔子は韓国人だった」説 中国で嫌韓がうまれるワケ

好戦的 VS 属国 歴史認識で中国人と韓国人を怒らせるポイント

韓国の独立門 中国への従属、日本からの「プレゼント」

飛鳥時代の日本と韓国 ヤマト遠征軍、新羅と戦い降伏させる

【強欲の魔女・西太后】日清戦争で中国が日本に負けたワケ

朝鮮の壬午軍乱:日本人を激怒させた、閔妃と大院君の争い

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 壬午軍乱が朝鮮滅亡の原因であるわけではありません。
    自然に滅亡へ向かう過程の一つのエピソードに過ぎないと考えています。王家は自国を守る意志がなく、ただ自分の家を守ろうとしただけで、庶民以下の身分の大多数の民は朝鮮王朝の圧政に非常に疲れていました。高宗(ミンビや大院君も同様で、)は力強い国に頼って家門を守ることしか考えていなかったため、朝鮮の滅亡は歴史の自然な流れでした。

  • 壬午軍乱は朝鮮滅亡の直接的な原因ではありません。
    ですが、首都に日本軍の駐留を認めたことは、日清戦争の直接的原因となり、滅亡につながりました。
    「力強い国に頼って家門を守ることしか考えていなかった」という事大主義は朝鮮を内側から蝕む病魔のような存在でした。

コメントする

目次