1910~45年まで大日本帝国に支配されていた時代、人びとは一切の権利を奪われ、絶望的な日々を過ごしていたーー。
現代の韓国では日本統治に対して、そんな地獄のようなイメージがあるから、その時代の遺物は「日帝残滓」と呼ばれ、憎まれている。
残滓(ざんし)とは「残りカス」のこと。
韓国の民族精神にとって日帝残滓は一種の穢(けが)れで、これを見ると不快になるから、基本的には駆除の対象となり、それが無くなると心がスッキリする。
しかし、そんな遺物には歴史的な価値があるから、文化財と見なし、保存すべきだと主張する人たちもいて意見が分かれることもある。
ハンギョレ新聞(2010-03-01)
‘日帝残滓’-‘保存価値’敵産家屋をどうする
敵産とは「敵の財産」のことで、日本統治時代(韓国では日帝強制占領期間)に日本人が暮らした家を「敵産家屋」と呼ぶらしい。
それをどうするかは韓国にまかせるとして、ここでは、この記事に出てくる群山市を取り上げたい。
群山(クンサン)市は、日帝残滓を観光資源として開発することにしたという。
市内には、約 100軒の“敵産家屋”や朝鮮銀行の支店などがあるから、市はそこに近代歴史探訪路を作り、観光客を呼び込んで街を活性化させたいと考えている。
最近、日韓友好を願う日本人と韓国人が集まるネット上のグループで、ある韓国人メンバーがこんな投稿をした。
「日本人のみなさんに私の故郷である群山市を紹介したいです」
この人によると、群山市は日本統治時代に発展した港町で、その時代の裁判所や警察署、日本人が住んでいた家など日本に関連する建物が今もたくさん残っている。
彼(彼女?)の感覚では、1992年までは、韓国なのか日本なのか見分けがつかないほどだった。
「1992년 까지만 해도
여기가 한국인지 일본인지 분간할 수 없을 정도의
옛 모습 그대로였습니다.」
群山市には、韓国で現存する唯一の日本式寺院(東国寺)がある。
韓国では、日帝強制占領期間の「残りカス」は次々と破壊されるのに、この都市は例外的だ。
投稿主は、故郷の古き良き日本を感じられる街並みを気に入っていて、統治時代に住んでいた日本人やその家族がここを訪れることを喜んでいた。が、SNSでそのことを話すと、ある韓国人から「親日的(=売国奴)」と罵倒され、こんな怒りのメッセージが届いたという。
「제가 살고 있는 군산시의 일본건물을 철거하고
민족의 정기를 회복해야 한다는 것입니다.」
(群山市にある日本統治時代の建物を取り壊し、民族の精気を回復しなければならない)
思い出を“汚された”投稿主はこの韓国人とバトルになり、疲れるだけで得るものが無いから、最後には彼をブロックした。
群山市には、日本時代に海を埋め立ててつくられた土地もあるから、日帝残滓を完全に取り除いて「民族の精気」を回復させると、そこに住む人たちは海の中に沈んでしまうという。
韓国には「日本」と聞くと、感情的になって合理的な判断ができなくなる人もいるから、投稿主はそんな人たちとやり合うこともある。
でも、日本時代の雰囲気を感じられる故郷を好きだから、このグループで紹介して、たくさんの日本人に来てほしいと願っているという。
その思いが伝わって、日本人メンバーは「初めて知りました! ぜひ群山市に行ってみたいです!」や「悲しい歴史ですが、観光地にして多くの人に見てもらうのは良い考えだと思います」といった好意的なコメントを寄せたが、「民族の精気」を重視する韓国人はそうではなかった。
この投稿をした人も攻撃を受けることは予想していたようで、「親日」とレッテルを貼られても特に反応しなかった。
そんな“勇者”の思いをムダにしないためにも、日本人は群山市へ行った方がいい。
きっといろいろな発見がある。
【日帝残滓】韓国人なら日本語の“ファイト”は使うな!…だと?
群山は韓国人にとって、日本が朝鮮を収奪した前進基地として知られています。
朝鮮の米を含む穀物や鉱物などがここを通じて日本に収奪されたと教育させていますね。
現在、日本式の建物がたくさん残っていますが、それは日韓友好とは全く関係ありません。
むしろそれらを通じて「日帝が姦悪に朝鮮を収奪した」という宣伝の場として使われているだけです。これと似たような場所が慶尚北道浦項にもあります。
そこの名前は”구룡포의 일본인 거리(九龍浦の日本人街)”です。
ここには和風の建物が残っていて、神社もありましたがすべて毀損されていて、やはり、”日本が朝鮮の漁業を収奪した前進基地”と宣伝されています。こんなところに日本人が来るとしても、韓国人は彼らを軽蔑するでしょう。まだまだ先は長いです。
https://blog.naver.com/blackmore62/221903762779
>群山は韓国人にとって、日本が朝鮮を収奪した前進基地として知られています。
その通りです。
だから、この投稿をした人と別の韓国人が争いました。
例外的ですが、恨みや憎しみを超えて、日本時代の雰囲気が残っている街を好きな韓国人がいることは良いことです。