19世紀の末期、日本人の本間 九介(きゅうすけ)が朝鮮半島の各地を歩き、そこでの経験を新聞に連載し、朝鮮の文化や社会事情を日本に広く伝えた。
彼の紀行文『朝鮮雑記』を読むと、当時の日本人と朝鮮人(韓国人)には価値観や考え方の違いが山盛りあったことがわかる。
その一つが「恥」の感覚だ。
韓国人にとっては、日本の女性が足の「すね」を見せる姿がおかしく見えた一方、日本人には韓国の女性が乳房を露出している姿がおもしろく見えた。
日本人女性は他人にすねを見せても、韓国人女性は胸を見せても「恥」を感じていなかったのだ。そんな感覚の違いから、日本人と韓国人はお互いに笑い合ったという。
ほかにも本間は、韓国の人たちは日本人のこんな態度を笑ったと書いている。
「かの国の人は、わが国の人が礼儀を表現するとき、脱帽するのを笑う。それとは逆に、帽子を戴いたまま傲然(尊大)とするのを、よしとする。」
この時代の日本は明治時代がはじまって数十年が経ち、洋装が普及し帽子をかぶった人も多く、初対面の人などには帽子をとって挨拶をするのが常識になっていたと思う。
日本人にとってこの行動は、謙虚さや相手への敬意を表す礼儀だったが、韓国人からするとその様子は奇妙だった。
韓国ではそんな時、「カッ」と呼ばれる大きな帽子をしたまま、傲然(ごうぜん:尊大に振る舞う)とする態度を示すことが「よし」とされたのだろう。おそらく、相手に「ナメられる」ことを恐れて、自分をより立派に、大きく見せようとした。
だから、日本人の謙虚さは、韓国人には卑屈に見えたかもしれない。
現代はどうだろう?
ジャーナリストの室谷克実氏が夕刊フジの公式サイト「zakzak」に、日本人と韓国人の考え方の違いについてのコラムを書いている。(2024.5/31)
韓国企業「豪華本社ビル」の見栄 現代自、105階建てが55階2棟に変更でひと悶着 日本メーカーには〝トヨタ型常識〟が
韓国企業のオーナーたちは見栄を重視していて、それは「本社ビルの立派さ」に表れているという。
たとえば、2014年に現代(ヒョンデ)自動車グループが、韓国で最も高い 105階建てのビルを建てるため、ソウルの一等地を当時レートで1兆円を超える額で購入した。
しかし、それから 10年が過ぎた現在でも、その土地ではまだ建物の支柱を立てるための作業をしている段階で、完成時期は見通せない。
土地を「10年間も遊ばせておくとは、すごい企業だ」と室屋氏は感心(?)する。
いっぽう、日本のメーカーには「本社ビルにカネをかけるべきではない」というトヨタの考え方が常識になっている。もし、経営者が本社ビルのために巨額の費用を使おうとしたら、労組や株主が猛反対するだろうと室谷氏は指摘する。
土地の購入に1兆円以上の費用を出すことになった時、いつもは批判的な言動が多い現代自動車の労働組合も反対しなかった。
つまり、従業員は全体的にゴージャスな本社ビルに憧れていたのだ。
大金を出しても、他人から「スゴイ!」と言われ、優越感をくすぐられることを優先したと思われる。
このコラムを読んで、日本のネット民はこう思った。
・業種によっては首都東京に本社を置く意味すらない
・本社なんぞ最低限でいい
日本なら当たり前の感覚だとは思うが
・本社はともかく、メーカーは工場に金かけろってのは言われてるよね
・ホンダの本社もパッと見だと雑居ビルだしな
・いろいろな企業に行ったけど、本社ビルが立派だなぁなんて思った場所は無かったな
昭和なビルで丈夫な作りで長持ち優先って感じ
ちなみに、現代自動車の本社ビルにはこんな“オチ”がある。
建設が進行しているうちに、資材の高騰などによって当初の建築計画は不可能になってしまった。そこでことし2月、建設費をカットするために、105階から 55階ビル2棟に変更すると発表された。
自分を“低く”見せることで、相手に敬意を示す。
現代でも日本人にとってそのような態度は礼儀正しく、好印象を与えるし、社会的にそれが常識となっている。
いっぽう、韓国では、相手に自分を“大きく”見せることを「よし」とする風潮があると思う。
韓国人の中には、聞かれてもいないのに自分の出身大学を言い出す人がいる。その人にとっては自然なことでも、こちらは「なぜこのタイミングで?」と違和感を感じて戸惑ってしまう。
もちろん「郷に入っては郷に従え」で、日本人の価値観や考え方の有効範囲は日本国内で、海外ではどこまで通用するかわからない。
知人のアフリカ人は日本人の控えめな態度を見て、「自信がない」と頼りなく感じると言う。
韓国では、豪華な本社ビルを建てることで、社員のやる気が上がったり周囲から認められたりして、仕事がスムーズに進むかもしれない。
国や文化圏に合ったやり方があるから、この辺の違いに上下優劣はない。
現代の日本人と韓国人では、体のどの部分を見せるかについての「恥」の感覚は一致しているが、「国民性」は130年前と変わっていないようだ。
日本人から見た韓国人 130年前と変わらない“辛いもの”好き
韓国人は虚栄心が大きいです。
“メルセデスベンツの代表車種である「Sクラス」の韓国累積販売台数が10万台を突破した。韓国はベンツのSクラスが世界で3番目に多く売れる。特に「マイバッハ」モデルは世界2位の市場に浮上するほど「ベンツ愛」が格別だ。” これは中央日報の報道でした。
もちろん、これまで韓国人の平均年俸が日本を凌駕してお金の余裕ができたからだと言えますが、韓国人は基本的に虚栄心が大きい性向です。これはおそらく朝鮮の五百年間権力を持った両班集団に迫害されてきた一般国民の補償心理がdnaに残っているためではないかと思います。
一般の人たちも、力のある権力者のふりをしたい欲望が無意識に植えられているのだと思います。「私がベンツに乗る金持ちだ」と誇示したい欲望だと思います。
これは別の記事で書くつもりですが、韓国人の場合、見栄や虚栄心ががんばることの原動力になっていると思います。
知人のアメリカ人はそれを評価して、日本人はおとなしくて積極性が足りないと批判していました。