インドの南方にあって、北海道の8割ほどの小さな島。それがスリランカだ。そこからやって来たアシャンは静岡の大学に通う留学生で、日本に住み始めてから2年以上が過ぎた。
彼は日本での就職を考えていて、スキマ時間を中心に日本語の勉強を続けているが、あまり結果は出ていない。日常的なことをボンヤリ話すことはできても、具体的な話になると笑顔が消える。たとえば、おにぎりの感想を聞くと、「おいしいです!」と元気よく答えることができるが、どうおいしいか聞くと、フリーズして英語で食感やスリランカの米との違いなどの説明をはじめる。
そんなアシャンに日本の言葉や宗教観について話を聞いた。

スリランカの仏像
仏教は日本とスリランカの共通点のひとつ。
スリランカ人にとって日本語はどんな感じ?
ーーアシャンからすると、日本語ってどんな言葉だと思う?
アシャン: 漢字が難しすぎて困りますね。やつは日本語界のラスボスです。私の知り合いの外国人が何人も挑みましたけど、最後には力尽きる人が多いです。
ーー ある程度マスターすると、漢字はすごく優秀な文字だって気づくからまぁがんばれ。
アシャン: 読み方も「音読み」と「訓読み」があって、一つの文字にいくつも読み方があるのが複雑です。
数字の数え方でも、「百」、「三百」、「六百」と、数字によって音が変化しますよね? あれにはなかなか慣れなくて、「五百円って“ひ・び・ぴ”のどれだ?」って悩みます。
漢字は情報量が多すぎて、頭の中が「オーバーロード」するんですよ。
※オーバーロード(overload)とは「過積載」や「過負荷」を意味する英語。自分のキャパを超える情報が入ってきて、処理しきれなくなる状態を指す。
ーー 漢字を勉強していると、頭からプシューって煙が出るんだ。
アシャン: でねーよ💢
言葉の裏を読む?「空気を読む」という日本独自の文化
ーー 日本語を勉強したり使っていたりして、ほかに何か感じることはある?
アシャン: 日本人のコミュニケーションでは言葉そのものよりも、それ以外の部分で思いを伝えることが多いと感じます。だから、日本語にはあいまいな表現がたくさんあります。
ーー 具体例を言いたまえ。
アシャン: たとえば「お疲れさま」や「よろしく」です。状況や相手との人間関係によって、意味がコロコロ変わります。それでも日本人は空気を読んで適切に解釈します。
ーー あ〜、アメリカ人の友人も同じことを言ってた。「すみません」もその場の状況に応じて「I’m sorry」「Excuse me」「Thank you」「Hello(店員への合図)」の意味になる。慣れると便利だって言ってたけど。
アシャン: 「以心伝心」という言葉がありますよね。私から見ればもはや「テレパシー」ですよ。
ーーアシャンがこれから日本語を勉強して、たくさんの日本人と付き合うと、本当のラスボスの存在に気づくと思う。じつは漢字よりも、「空気」を読むことの方がずっと難しい。
でも、日本に住むなら、この特殊能力を身につける必要がある。
アシャン: 同意します。日本人はいつも相手の気持ちを考えて、自分の言葉を調節していますよね。スリランカ人はとてもフレンドリーな性格をしていて、物事はハッキリと伝える文化なので、そういった「察する」コミュニケーションは苦手なんです。
「無宗教」への違和感と、日本人の道徳観
ーー 日本人と接していて、驚いたことや印象的だったことはある?
アシャン: 宗教について質問したとき、当たり前のように「私は無宗教です」と答えることですね。これには驚きました。
スリランカでは国民の70%以上が仏教徒です。他にもキリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教を信仰している人がいます。信じる対象はバラバラですが、どの宗教の人も自分の信仰にはとても真面目です。
ーー それはわかる。前に知人のスリランカ人が日本のお寺に行ったとき、床に「ゴキブリホイホイ」が置いてあるのを見てショックを受けていた。仏教の教えでは「不殺生(生き物を殺してはいけない)」というタブーがあるからね。
お寺にゴキブリホイホイ?日本とスリランカで違う「仏教」の常識
アシャン: お寺にゴキブリホイホイって、……それはダメですよ。
ーー 日本とスリランカの仏教は別ものだからさ。
アシャン: スリランカ人の感覚からすると、どの宗教を信じていてもいいんですけど、「何かを信仰していること」が人間としてとても重要なんです。
公の場で「私は無宗教です」と言うのは、自分には道徳心もアイデンティティもありませんと言っているみたいで、恥ずかしい感じがします。でも、日本人は堂々とそう言うので、違和感を感じます。
ーー そこは日本と感覚が逆だな。日本では「私は〇〇教を信じています」と強調する人がいたら、好感を持つよりもたぶん引いてしまう人の方が多い。むしろ「無宗教です」と言われた方が安心できる。
それに、日本には武士道があるから。
武士道が育んだ日本人のモラル
19世紀後半、新渡戸稲造がヨーロッパに滞在していたとき、ベルギーの教授と宗教について議論になった。教授は、日本の学校では宗教教育が行われていないと知って驚き、「宗教がない! では、一体どうやって善悪や道徳を教えているのですか?」といった質問をした。しかし、新渡戸は答えることができなかった。
その後、彼は日本人の道徳観の源流は武士道にあると考え、英語で『武士道』を発表した。外国人にとってはこれが日本人を理解する書となった。
これは世界中でベストセラーとなり、外国人が日本人を理解するためのバイブルとなった。
現代の日本人が大切にしている「礼儀を守る」「嘘をつかない」「卑怯なことをしない」といった価値観は、特定の宗教というよりは、この武士道の精神から引き継がれたものだろう。
紅茶の国スリランカのプライド:「ミルクティー」へのこだわり
アシャン: あともう一つ、ちょっと気になることがあるんです。日本では「ミルクティー」と言いますよね? あれは何でですか?
ーーは? それに何か問題があるの?
アシャン: スリランカでは「ティー・ウィズ・ミルク」と呼びます。スリランカは紅茶の生産がとても盛んで、輸出量では世界ランキングで1〜3位に入っています。
ーー軽く自慢を入れて、アシャンは何を言いたいの?
アシャン: それに、日本が最も多く紅茶を輸入している国は、実はスリランカなんです
ーースリランカのおかげで、日本人がおいしいお茶が飲めることには感謝するけど、「ティー・ウィズ・ミルク」はどこへいった?
アシャン: スリランカ人は紅茶に対して強いこだわりがあるんです。だから「ミルクティー」という言葉の響きには、どこか違和感があります。「ティー・ウィズ・ミルク」と言った方が、「主役は紅茶だ」という感じがして、しっくりくるんです。個人的な感覚ですけどね。
ーーなるほど。今まで「ティー・ウィズ・ミルク」なんて聞いたことがなかった。スリランカ人として、紅茶への深い思いは大切にするべきだと思うよ。そこまでじゃないけど、ボクも日本人として、韓国や中国で砂糖入りの緑茶を飲んだときは「コレジャナイ」って感じたし。
アシャン: じゃあ、これからは「ティー・ウィズ・ミルク」って言ってください。
ーーそれは断る。「私は〇〇教を信じています」とは別の意味で引かれる。
ちなみに、イギリスでは「ティー」というとミルクティーを指して、日本でいう紅茶は「ブラックティー」になる。これを知らずに、いつもレストランでミルクティーばかり出てくることを「謎」に感じる日本人がたまにいる。

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