世界で愛される中国アプリ「TikTok」
世界中で月に10億人以上が視聴しているお化けアプリ、それが「TikTok」だ。
名前の由来は、時計の針が時を刻む「チクタク(tick-tock)」という英語の擬音語にある。
日本でも多くの人が音楽やダンスを楽しんだり、料理や旅行の情報を得たりしている。
若い世代にとっては、この中国発のSNSはもはや生活の一部となっている。
そんなTikTokで、日本と中国の立場が逆転したことを感じさせる、とても残酷で的確な動画があった。
日本が強く、豊かだったころ
今から20〜30年ほど前の日本は、世界で「その他大勢」を圧倒するほど強く、豊かだった。
アメリカに次ぐ第2位の経済大国で、日本製品は世界中で信頼され、高い人気を誇っていた。
当時の日本は、自他ともに認める「モノづくり大国」で、テレビや冷蔵庫、カメラといえば「メイド・イン・ジャパン」が世界最高峰のブランドとされていた。
今となっては遠い目になってしまうけれど。
隣国にとっても、日本の家電製品はステータスシンボルだった。
しかし、中国には当時から社会の奥底に反日感情が存在していた。
それで、中国人の心のなかには、日本に対して「憧れ」と同時に「恨み」もあったらしい。
15年以上前に中国を旅行中、ある中国人の日本語ガイドから、そんな両極端な感情がごちゃ混ぜになっているようなエピソードを聞いた。
2005年、中国で爆発した大規模な反日デモ
エピソードのきっかけは、2005年に発生した大規模な反日デモだ。
まずはこの抗日活動について、簡単に説明させてほしい。
当時、小泉純一郎首相が靖国神社を参拝したことで両国関係は悪化し、中国国内では反日感情が高まっていった。
そして、2005年4月にその感情がついに「爆発」した。
上海の日本総領事館には1万人以上の群衆が集まり、レンガの破片や卵などが投げつけられた。
また、デモ隊の一部が暴徒化し、市内にあった日本料理店が破壊された。そこは中国人が経営し、中国人の従業員が働く店だったのにもかかわらず。
街中にいた2人の日本人が中国人に取り囲まれ、警察官に保護されたが、民衆はパトカーを襲撃し、2人は頭などに負傷を負った。
北京や成都などでも反日デモが発生し、日本に関係する店が次々と被害を受けた。
民衆がデモ活動をしている最中、中国人が運転する日本車が通りかかった。
「前世で何をしたんだろう?」と思ってしまうほど、そのドライバーは運に見放されていたらしい。
怒り狂った群衆はその車を取り囲み、フロントガラスを割ったり、卵を投げつけたりする。
ドライバーの女性が「わたしは日本人じゃない!もうやめて!」と泣き叫んでも、群衆の怒声にかき消され、車は四方八方から蹴られたり物を投げられたりして、「動く廃車」のような姿になってしまった。
日本製品を見ながら日本を批判する中国人
反日感情が高まっているとき、日本製品を使っている中国人は「漢奸(売国奴)」と見なされ、攻撃対象となる。

2005年に反日デモがあったとき、先ほどの日本語ガイドも親戚から「漢奸」のように見られたという。
彼はウンザリした顔でこう言った。
「わたしの親戚がテレビで抗日活動の様子を見て刺激されて、『おまえも仕事を変えたらどうなんだ』って言ってきたんです。余計なお世話ですよ。わたしは中国と日本が好きで、この仕事をやっているんですから」
今でも印象に残っているのは、以下のような話だ。
「わたしは日本をよく知っています。日本には高い技術力があって、人びとはまじめで労働意欲も高くて、中国には学ぶべきところがたくさんあります。好き嫌いの感情で排除したら、中国は未来を失ってしまいますよ」
それ以上によく覚えているのが、このオチだ。
「親戚は抗日活動のニュースを、『東芝のテレビ』で見ていたんですよ。それを買ったとき、『高いお金を払って買った価値があった!』とクオリティーを称賛していました。彼らは日本製品の画面を見ながら、『日本は許せない!』と日本を批判していたんです」
ガイドはそんな態度に二重基準や偽善を感じたが、感情的になってテレビを壊さなかったことには「理性が残っていましたね」と評価していた。
外では日本が大嫌いだと叫んでいるのに、家では日本製品を愛用する「理性的な人たち」は韓国にも多い。
ちなみに、中国語の「漢奸」は韓国語では「親日(派)」になる。

20年ほど前の中国では、日本にさまざまな不満はあっても、「技術や経済では、悔しいけれど日本を認めざるをえない」と考える人がいて、無自覚にそれを行動で表してしまう人もいた。
気がつけば、中国に追い抜かれていた日本
しかし、その後の20年間で、両国の立場はすさまじいスピードで変わっていった。
日本は長い間、GDP(国内総生産)でアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国だったが、2010年に中国に抜かれて3位に転落。
現在、中国の経済規模は日本の4〜5倍にまで増大し、もう背中すら見えなくなった。
日本が「失われた30年」と呼ばれる低迷期間にいた間に、中国はインターネットやスマートフォンの最先端技術(IT)の分野で、世界をリードする国家へと大進化をとげたのだ。
中国アプリを使いながら中国を批判する日本人
つい最近、ある中国人が「X」で、日本人をあざ笑うような投稿をしていた。
日本人が「中国の政府も製品も信用できない。だまされるな!」といった中国批判の動画を「TikTok」で配信していたから、その中国人は怒りではなく、哀れみを感じたという。
その投稿を見て、すぐにあの中国人ガイドの話を思い出した。
まさに「デジャヴ」だ。
昔は、中国人が日本のテレビを見て日本の悪口を言っていた。
今は、日本人が中国のアプリを使って中国の悪口を言い、小銭を稼いでいる。
この20年で立場が変わり、逆転現象が起きているではないか。
「TikTok」で中国批判をするというのは、ダブスタ(二重基準)というより、ダサすぎという気がするけれど。
これから日本が発展するには
これからの日本で、「再逆転」が起こり、世界的な企業は生まれるのだろうか。
世界中で月に10億人が使うようなサービスや、世界を動かす巨大企業が生まれるだろうか。
残念ながら、そんな明るい未来は見えてこない。
あのガイドが言ったのと同じように、日本の発展のために感情を排除するならば、中国から学ぶか、中国の力を利用したほうがいい。
そうでないと、日本はまた低迷期に突入して、未来を失ってしまいかねない。
ちなみに、自民党も2025年にTikTokで公式アカウントを開設している。
理性的で現実的な対応だ。

コメント
コメント一覧 (7件)
私も実は日本が嫌いで、無関心だったため、日本に失われた30年があったことに気付いたのはそれほど昔のことではありません。私は工学部に通っていたので電子計算機をよく使っていましたが、当時(80年代)に私が使っていた電子計算機は日本製のカシオ(CASIO)でした。そのカシオ計算機の性能、応答速度、頑丈さは、韓国製とは比べ物にならないほど優れていました。当時、韓国で計算機を製造していたごく少数の企業の中で最も性能が良かったのはやはりサムスンの計算機でしたが、カシオとは比較にならないほど性能や外観、頑丈さが劣っていました。当時のサムスンは日本の電子会社と比べ物にならないほど技術力が劣っていました。しかし、サムスンは日本の技術力と企業運営手法を着実に学び、革新を重ね、現在ではかつては天のように高かったソニーや東芝といった日本の電子会社を抜き、世界最高水準の企業へと成長しました。日本がなぜ遅れを取っているのか(もちろん、現在でも基礎科学に基づく重要部品や素材は世界最高水準ですが、…)を教えていただけませんか。
1990年代のはじめにバブル景気が崩壊して、資産価値が消え去りました。
銀行は不良債権を大量に抱えこみ、企業などへの貸し出しが減り、日本全体で経済的な流れが鈍りました。
そんななか、日本のメーカーは過去の成功体験に縛られてしまいした。
1980年代に世界で高い評価をうけた「ものづくり(高品質なハードウェア)」にこだわり、1990年代からはじまった世界的なデジタル革命(IT・ソフトウェアへのシフト)の波に乗り遅れてしまいました。
高い技術力はありますが、時代のニーズに合っていなかったので失速しました。
韓国企業は新しい勢力です。「成功体験」がなかったので過去に縛られることがなく、時代の流れを正しく読んで新しいことにチャレンジしたから、成功したと思います。
ある時代に成功した要因が、次の時代では失敗の要因になることはよくあります。
ご説明いただき、ありがとうございました。
しかし、私が理解できないのは、バブル経済と表現しているものの、当時の日本経済は本当にバブルだったのかということです?日本企業は技術力で世界市場を席巻し、その代償として莫大な富を蓄積しました。 しかし、なぜそれがバブルになったのか理解できません。
これは難しい話なので、AIに答えてもらいました。
結論から言うと、「本物の技術力で稼いだお金」が、いつの間にか「実体のない土地や株のマネーゲーム」に化けてしまい、その価格が実力以上に膨らみすぎてしまったからです。
このメカニズムを3つのステップでわかりやすく解説します。
1. 発端:強すぎた日本と「プラザ合意」
1980年代前半、日本製品が世界中で売れまくった結果、アメリカは莫大な貿易赤字に苦しんでいました。
そこで1985年、先進国が集まって「プラザ合意」という取り決めを行います。これは簡単に言うと「アメリカを助けるために、円の価値を高くしよう(円高にしよう)」という強制的なルール変更でした。
これにより、それまで「1ドル=約240円」だった為替レートが、わずか1年ほどで「1ドル=約150円」へと急激な円高になりました。
2. 転換:円高不況を防ぐための「超金融緩和」
急激な円高は、当時の日本にとって大打撃でした。海外で日本製品の価格が高くなってしまい、売れなくなる(円高不況になる)と予想されたからです。
そこで日本政府と日本銀行は、景気を下支えするために以下の対策を取りました。
金利を大幅に下げる(お金を借りやすくする)
世の中にお金を大量に流す
これがバブルの引き金になります。銀行には、企業や個人に貸し出したいお金が有り余る状態になりました。
3. 暴走:本業から「財テク」へのシフト
ここからが「本物の経済」が「バブル」へと変貌する瞬間です。
金利が下がったことで、企業や個人は格安で大量のお金を借りられるようになりました。通常なら、そのお金は「新しい技術の開発」や「工場の建設」に使われるべきですが、当時の日本企業はすでに世界トップクラスの設備を持っており、これ以上本業に投資しても、すぐには2倍、3倍の利益にはなりません。
そこで、有り余ったお金は土地や株式の購入(財テク)へと向かいました。
なぜ「泡(バブル)」になってしまったのか?
土地や株の買いが集中すると、当然価格が上がります。価格が上がると、それを見た人が「もっと上がるはずだ」と考えてさらに買います。
「日本の土地は狭いから、絶対に値下がりしない(土地神話)」
「東京23区の土地代だけで、アメリカ全土が買える」
このような、今思えば異常な理論が当時は大真面目に信じられていました。
つまり、「企業の本当の価値(技術力や売上)」とは全く関係のないところで、土地や株の価格だけが、実体のない期待感(泡)によって何倍にも膨れ上がってしまったのです。これが「バブル経済」の正体です。
まとめ:何が崩壊したのか?
1990年頃、国が「これ以上土地や株が上がるのは危険だ」と判断し、金利を急激に引き上げ、銀行がお金を貸すのを規制しました。
すると、魔法が解けたようにみんなが慌てて土地や株を売り始め、価格は大暴落しました。
崩壊したもの: 実体のなかった「土地や株の異常な高値(泡)」
巻き添えを食らったもの: 日本企業の「本物の技術力」や「投資資金」
企業や銀行は、値下がりした土地という巨大な「借金(不良債権)」を抱えることになり、本業の技術開発にお金を回す余裕を失ってしまいました。これが、その後の「失われた30年」へと繋がっていくことになります。
当時の技術力が本物だったからこそ、「まさかこれが崩壊するはずがない」という過信を生み、バブルをここまで大きく育ててしまったとも言えます。
詳細な説明、ありがとうございます。
私の考えでは、日本の失われた30年は経済における太平洋戦争だったという印象です。
太平洋戦争の原因が日本帝国が過度に強くなるのをアメリカが抑制して生じた両国の争いであったなら、失われた30年もまた日本経済が過度に強くなるのをアメリカが抑制する過程で生じたのではないかと思います。日本経済が停滞する過程で、韓国経済が逆に世界市場を広げてきたというのも奇妙な縁ですね。
とにかく30年が過ぎ、今こそ日本が再び飛び立つ時代になることを願っています。
高市首相がアメリカで行った演説で、「JAPAN IS BACK!!」と言って大きな拍手を受けた場面を覚えています。そうして日本が再び戻ってきてほしいです。
今、韓国人は日本が滅びたと考えており、日本国民は低賃金に苦しんでいると考えているからです。 (泣)
アメリカは昔から「アメリカ・ファースト」で、ほかの国が力をつけてくると叩きます。
今は中国がそれを実感しているはずです。
韓国は「日本に追いつけ、追い越せ」と言っているときは経済的に勢いがあったと思います。
今は「日本を超えた、学ぶものはない」と言う人がいます。そうなると逆に韓国経済が衰退する気がします。
アメリカが中国を抑制することは十分に理解できます。中国は人間の本性と自然の理に反する共産主義、全体主義の集団だからです。 そのような集団が力を得れば、世界は暗くなるでしょう。しかし、日本の経済成長を抑制することは理解しがたいです。 日本が経済的に強ければ、自由世界の力が大きくなるでしょうから。国際社会には一般の人が理解しにくい論理やシステムがあるようです。