呼び方の変化にみる「歴史認識」のズレ
最近、このブログの韓国人読者さんが、日本の朝鮮統治(1910〜1945年)の呼び方について、興味深いコメントをもらった。
「”日帝時代”と呼んでいました。”日本帝国主義時代”の略です。しかし、今は”日帝強占期”と固定されています。とても悪い言葉で、事実を歪曲する言葉です。」
今の韓国では「日本帝国主義がわが国を強制的に占領した時期」ということで、「日帝強占期」という呼び方が一般的だだ。しかし、以上の事情から、「日政期」と書くべきだと主張する歴史学者もいるが、残念ながら、世論にはあまり受け入れられていない。
同じく日本統治を経験した台湾では「日治時代」と呼んでいる。「日政期」という呼称は客観的で、台湾の認識に近い。
一方、日本では「日本統治時代」や「日韓併合時代」と呼ぶのが一般的だ。このように、同じ歴史的実態でも、立場によって使う言葉は大きく異なる。
韓国は立場は同じでも、日帝時代が日帝強占期に名称が変わることがよくある。「強制」や「戦犯」といった言葉が付けられることも多い。
これから、その理由について書いていこう。
「不登校」を「ユニパス」へ
きょう、群馬県が不登校を「ユニパス」に言い換えることに決めたというニュースを見た。
これは「ユニーク」と「パス(道)」を組み合わせた造語だ。
「不登校」のネガティブな印象を払拭したいという狙いで、「学校に行かないことは決して悪いことではない」という知事の思いが込められている。
名前と実態が合っていないと感じた場合、名称を変えて、より正しい状態にしようとすることは世界中である。ただ今回のケースでは、不登校という実態と「ユニパス」という名前のあいだにズレを感じる人も多そうだ。
古代中国の皇帝・王莽と「改名」の政治
歴史をさかのぼると、約2000年前に前漢を滅ぼして皇帝となり、「新」を建国した王莽(おうもう)は、異常なほど「改名」にこだわった人物だった。
たとえば、それまで「王」だった周辺諸国の君主たちを、「侯(こう)」というワンランク低い名称に変えた。これによって、朝鮮半島にあった高句麗の支配者は「王」から「侯」に格下げされた。
また、王莽は北方にあった「匈奴(きょうど)」という国名を「降奴(こうど)」、君主の称号である「単于(ぜんう)」を「服于(ふくう)」と屈辱的に改名した。
降奴は「降伏した奴」、服于は「皇帝に服属した者」といった意味だと思われる。
さらに、王莽は自分の命令を聞かなかった高句麗に激怒し、「高」の字を「下」に変えて国名を「下句麗(かくり)」とした。
中国は韓国をどう見てきたのか? 古代は「蔑視」、現代は「軽視」
敵対意識から、呼称を変えた日米
これと似た動きは海外にもある。
第一次世界大戦が始まると、アメリカでは反ドイツ感情が高まり、代表的なドイツ料理である「ザワークラウト」(酸っぱいキャベツの漬物)の名前を、「自由のキャベツ(liberty cabbage)」という英語に変えた。
ちなみに、日本でも反米感情が高まると、英語が敵性語と見なされ、タバコのゴールデンバットは「金鵄」、野球のストライクは「よし1本」と言い換えられるようになった。
これらは単なる嫌がらせではなく、次に説明する「ある思想」に基づいていたんだ。
しかし、王莽(おうもう)が改名した動機は、単なる嫌がらせではない。次に説明する「ある思想」にもどづいていた。
儒教の「正名」思想:名を正せば世の中が正される
王莽がなぜここまで名前にこだわったのか。その背景には、儒教の開祖・孔子が説いた「正名」(思想)がある。
孔子は、政治において核心的に重要なことは「名を正す」(正名)であると言った。
名前と実態が合っていないのは、「名分が正しくない」という状態であり、儒教の精神では認められないものだった。
孔子は、政治でとても重要なのは「名を正すこと」として次のように言った。
「君主は君主らしく、臣下は臣下らしく、父は父らしく、子は子らしくあるべきだ(君君,臣臣,父父,子子)」
それぞれの人が自分の称号に合った行動をすることを「名分を正す」という。孔子は政治において、名分を正すことを重視した。
君・臣・父・子などの称号(名前)と実態を一致させることで、社会をの上下関係や役割、が明確になり、秩序がうまれる。
王莽は「正しい名前」を付けることで、世の中を理想的な状態に導こうとした。しかし、それは自分が道徳的に優位に立ち、相手を見下す態度でもあったため、周辺国の反発を招き、彼の国「新」は短命に終わってしまった。
500年続いた朝鮮王朝と儒教の浸透
日本の歴史で1392年、室町幕府の将軍・足利義満が南北朝合一を果たした重要な年。
同じ年、朝鮮半島では李成桂によって「朝鮮(朝鮮王朝/李氏朝鮮)」が建国された。この国は長命で、日本でいえば明治時代の1910年まで約500年もの間存続していた。
朝鮮政府は儒教を国教として定めたため、この長い年月の間に儒教思想が社会の隅々まで深く浸透していった。この思想は、現代の韓国人の価値観や考え方にも大きな影響をあたえている。
名前と実態を一致させる「正名」の考え方もそのひとつだ。
この思想は日本にも伝わった。
江戸時代の儒学者・藤田幽谷は『正名論』の中で、「将軍」の称号を「摂政」に正すべきだと主張した。日本の真の統治者は天皇で、徳川はあくまで天皇から政事をまかされた臣下にすぎない。
藤田から見ると、実態と名称が合っていないため、「摂政」に正すべきだと考えた。
韓国では、伝統的に「正名」の考え方が日本以上に浸透していた。
現代韓国で加速する「名を正す」動き
韓国が日本統治時代の名称を、単なる「日帝時代」から「日帝強占期」へと変えた背景には、儒教の精神である「正名」がきっとある。
日本の朝鮮統治は過去のもので、もう実態は変わらない。
しかし、韓国社会の中で、当時の日本統治は残酷さと悪逆さを増していった。そのため、単に「日本帝国主義時代」を指す言葉では実態に合わなくなった。
そこで「強制」という言葉を付け加えることで、日本の加害性を強調し、実態に即した名前に正した。そうすることで、韓国と日本の立場の違いを明確にしようとした。
韓国社会では「名を正す」(正名)という動きがよく起こる。
日本を「戦犯国」、旭日旗を「戦犯旗」、日本企業を「戦犯企業」と呼ぶようになったのは、比較的最近のことだ。
天皇を「日王」と呼ぶのは世界で韓国しかない。日本と戦ったアメリカは「エンペラー」、中国も「皇帝」という名称を使っている。しかし、「天皇」という呼称は朝鮮国王より格上になってしまうこともあるため、韓国人の中では心理的な抵抗が大きく、「皇帝」よりワンランク下の「王」が実態に合っていると考えるのだろう。
豊臣秀吉の朝鮮出兵:「壬辰倭乱」に込められた意味
豊臣秀吉による16世紀の朝鮮出兵も、韓国では「壬辰倭乱(じんしんわらん)」と呼ばれている。
「倭」は日本の蔑称で、「乱」とは秩序を乱したという意味になる。「反乱」になると、支配者に反旗を翻し、身分の低い者が戦いを始めることを指す。
「壬辰倭乱」は、日本人からすれば侮辱的な表現に聞こえるが、韓国側から見れば、それが歴史の実態を最も正確に表している言葉だという認識になる。
日本に対する「道徳的優位」という考え方
2015年6月の『朝鮮日報』のコラムでは、戦後50年以上たっても対日批判が終わらない理由として、韓国側の「道徳的優位」という意識を指摘している。
韓国が批判をやめないのは、韓国の方が日本よりも道徳的に絶対優位だと信じる気持ちがベースにあるためだ。
韓国の道徳性は本当に日本より優れているのか
王莽が高麗王を「高麗侯」と呼び替えたり、高句麗を「下句麗」と呼んだのも、中国の方が朝鮮よりも道徳的に絶対優位だと信じる気持ちがベースにあるためだろう。
名前が正しくないことに我慢できない文化
現代の韓国社会にも、実態に合わせて名前を正していく「正名」の思想は強く生きている。名前を正すことで上下関係や役割をはっきりさせ、そこに秩序を見出そうとしている。
韓国の人たちにとって、実態と離れた「正しくない名」で呼ぶことは、思想的に受け入れがたいことなのだろう。だから、名前と実態を一致させて、名分を正そうとする。
「日帝時代」を「日帝強占期」に呼び替えたのも、「ザワークラウト」を「自由のキャベツ」にするような単純な嫌がらせではなく、政治的・道徳的な正しさを示そうとした。
ただ、こうした姿勢は「上から目線」なので、かつての「新」のように、周辺国の反発を招くおそれがある。

コメント
コメント一覧 (8件)
ということで、韓国のごく少数の学者は”壬辰倭乱”を”壬辰戦争”に変えるべきだと主張していますが、やはり何の力も得られていません。
確かに、朝鮮は名分論が強く、そのためさらに用語にこだわります。
1627年、後金(後に清)に朝鮮は降伏し、歴史上初めて王が後金皇帝に冷たい地にひざまずき「三拜九叩頭禮」という降伏の礼を捧げます。韓半島の王朝の歴史で初めてあった大屈辱でした。しかし、朝鮮王朝実録ではこれは”丁丑下城”と記録しています。つまり、”丁丑年にお城を下りてきた”ということですね。
降伏を降伏とは言わず、あのように表現したことからも、朝鮮がいかに名分という名前に執着していたかが分かります。
あ、それから···
朝鮮を「韓国の歴史上、最も長く続いた国家」とおっしゃいましたが、一部は正しく、一部は事実ではありません。朝鮮より長い歴史を持つ王朝は、三国時代の高句麗、新羅、百済があり、それ以前の古朝鮮もあります。 ただ、古朝鮮の歴史は世界からそのすべてを認められず、三国は韓半島に同時に存在した国々だったため、統一国家ではありません。新羅が三国を統一し、歴史は992年(BC57~AD935)ですが、三国統一以降の期間は267年です。 そのため、韓半島を統一してから最も歴史が長い国は朝鮮です(もちろん、韓国では古朝鮮が最も歴史が長いと教えています。 古朝鮮はBC2333-BC108です)。
「日帝強占期」がどの程度韓国社会に深化したのかは、私のブログのこの動画を見れば分かると思います。 韓国で使うワープロは”ハングル”という番組ですが、そのユーティルを利用してハングルで”일제시대(日帝時代)”と入力し、エンターキーを押すとすぐに”일제강점기(日帝強占期)”と自動的に変わります。
https://blog.naver.com/blackmore62/223268694322
「壬辰倭乱」は朝鮮時代の言い方で、当時の日本への蔑視や敵意が表れているので、現代の価値観では「壬辰戦争」のほうが適切だと思います。
といっても、現代の韓国人はハングルを使っているので、「壬辰倭乱」の深い意味を知らないかもしれません。
屈辱的な言い方を避け、「丁丑下城」と言っていたのですか。日本軍は撤退を「転進」と言い換えていました。これは正名思想とは違うと思いますが、悪い事態を良い意味に言い換えることは世界的にあったでしょう。
朝鮮より長い国はありましたね。訂正しました。
ご指摘ありがとうございました。
言葉が人の認識に与える影響は決定的です。
「日帝強占期」という悪い意味の言葉が韓国人の日常にあると考えると、日本との歴史認識のミゾは埋められないですね。
屈辱的な言い方を避け、「丁丑下城」と言っていたのですか。>> そうです。
当時、朝鮮は中国だけを世界最高の国と見なして事大しただけで、他の国はすべて「오랑캐(蛮族人)」と見なしていました。 日本だけでなく、清国を建国した’後金’の女真族も蛮族と見なし蔑視しました。 そんな女真族に屈辱的な降伏をしたのだから、王朝実録に”降伏した”と書けなかったのです。
江戸時代、中国では漢民族の「明」がなくなり、満州族の「清」ができました。
それで儒学者の山鹿素行(やまが そこう)が「日本こそが真の『中国』である」と主張しました。
この場合の中国とは「中華(世界の中心)」の意味で、異民族が支配する清より、日本が優れた「文明を持つ国(中国)」と考えました。
異民族を「蛮族」とみなす考えは儒教にありました。
それで儒学者の山鹿素行(やまが そこう)が「日本こそが真の『中国』である」と主張しました。===== この事実は初めて知りました。 驚きですね。これが清朝時代の朝鮮の思想でした。
それで、朝鮮自らを”小中華”国と言いました。たとえ蛮族だとあざ笑った清に降伏はしたものの、朝鮮は「明に次ぐ中華の国だ」という考えでした。いわば”精神勝利”でした。
中華思想は朝鮮や日本にもありました。日本では儒学者が中心でしたが、朝鮮では社会に広く浸透していたと思います。