八田與一と日帝残滓 台湾と韓国でこれほど違う日本統治の見方

ヒトの価値観や考え方はそれぞれ違うから、まったく同じものでも違って見えることがよくある。たとえば、あるインド人は曇り空を見て「良い天気ですね」と笑顔で言った。暑いインドでは晴れた日より、曇って太陽が見えない日のほうが快適らしい。

歴史認識も同じで、同じ出来事があっても解釈は国や地域によって違う。韓国と台湾では、日本に対する認識がまったく違うというのが今回のテーマだ。

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台湾の八田與一

日本で10月10日は「ジュージュー」ということで、鉄板の上でそんな音が聞こえるお好み焼きの日。
台湾ではこの日は「雙十國慶日」となる。1910年10月10日、辛亥革命(正確には武昌起義)が起こり、清王朝を倒して中華民国(台湾)が建国された。
「雙十」とは「十が2つ」、そして「國慶」は「建国記念日」を意味している。つまり、10月10日は台湾の誕生日で、今年で114歳になったから、ある台湾人はSNSで「中華民國 生日快樂(誕生日おめでとう)」と祝っていた。

中国本土で辛亥革命が起こった1910年、台湾島では日本の統治(1895〜1945年)がおこなわれていた。その時代、「八田與一」という日本人技師が台南でダム建設を指導し、現地の人々の生活を豊かにしたことで感謝された。

「感謝しきれない!」日本人の八田与一が台湾で愛される理由

現在の台湾で彼は尊敬されていて、教科書にも載るほどの偉人になっている。
最近、コメ価高騰を背景に、台南市のお米が日本でも販売されるようになった。その名前は「八田香り米」。これは、八田與一が建設した烏山頭ダムから引いた水を使って育てられた米らしい。

日本のネット民の反応は、「じゃないほうの八田(ひき逃げ犯)」にふれる人もいたが、全体的にはウェルカムだ。

・香り米なのか
ルーロー飯に合うのかな?
・おそらく、朝鮮にも朝鮮の発展のために尽くした日本人がいたはずだが、
歴史から消えた、消された。日本は台湾と共に未来を創る。
・逆にアイツのせいで八田與一技師のことを知った人もいると思う(´・ω・`)
早く捕まらないかな……
・年期の入った日本の作り方なら良いだろう
・ええやん ぜひ一度食べてみたい😆

日本による台湾統治については、抗日事件で多くの死者を出したこともあったけれど、現在の台湾人は比較的好意的に見ており、八田與一は日台友好のシンボルとなっている。

【日本と台湾】最大の抗日蜂起・霧社事件と台湾人の思い

もし、統治時代の韓国で八田與一のようにダムを建設し、人びとの生活を豊かにした人物がいたら?
知人の韓国人にそんな質問をすると、彼はこう答えた。

「きっと“多くの朝鮮人に強制労働をさせて苦しめた”という解釈をすると思います。今の韓国では、あの時代の日本の役人はすべて悪人と考えられていますから、感謝することはないでしょう」

台湾人から見た韓国の「日帝残滓」

日本統治の歴史は韓国(1910〜1945年)にもあるが、現在の見方は台湾とまったく違う。期間としては韓国は台湾の約0・7倍だが、日本に対する恨みは推定100倍だ。
韓国では今も社会に残る日本時代の影響を「日帝残滓」と忌み嫌われ、見つかりしだい、基本的には排除されている。
これは「日帝(大日本帝国や日本の帝国主義)」と「残滓(残りカス)」を合わせた韓国語で、知人の台湾人にこの言葉を見せたところ、彼らは漢字の意味が分かるだけに、「日本に対してそんな侮辱的な言葉は見たことありません!」と驚いていた。

台湾社会にも日本時代の影響は残っているが、それは文化と見なされ、人々は排除しようとしない。たとえば、日本時代の建物をリノベーションして「古き良き雰囲気」を活かしたカフェにしたり、「頭コンクリ」という言葉を今でも使ったりしている。

【50年の日本統治】いまでも台湾人が使う「頭コンクリ」

「日帝残滓」の精算

そんな台湾と対照的に、韓国では日帝残滓(日本時代の文物)の除去作業が何十年も前からおこなわれている。
きょうも韓国の全国紙・朝鮮日報にこんな記事があった(2025/10/12)。

「カラ」「ペンキ」「シマイ」「ブンパイ」…韓国軍で使われる言葉に旧日本軍の名残、共に民主議員が国防部に改善訴え

韓国の軍隊内では、日本時代に使われていた言葉が今でも使われていることが判明し、問題になっている。そんな日本語や日本式漢字語の例には次のようなものがある。

カラ(偽物)、ペンキ(ごまかし)、シマイ(終わり)、クサリ(面と向かって責めること)、ブンパイ(分配)、ナラシ(平坦化)、点呼、駆歩(駆け足)、古参、残飯、施鍵装置、銃器手入

※これらはおそらく昭和の軍隊用語だから、現在の日本人には意味が分かりにくい言葉もある。

独立後、旧日本軍出身の軍人が現在の韓国軍を創設したため、そのまま引き継がれた言葉もあり、それが今日まで続いている。しかし、それは日本由来の言葉であるため、韓国国立国語院では、駆歩、残飯、施鍵装置をそれぞれ韓国語の「走ること」、「残った食べ物」、「鍵をかける装置」と言い換えることを推奨しているという。

軍隊内では短く正確な言葉を使ったほうが良いだろうから、残飯や施鍵(せじょう)装置の方が効率的だと思うのだけど、「日帝残滓」のレッテルが貼られると韓国社会では生存が許されない。

台湾のニュースと違って、当然、日本のネット民はこうした動きには批判的だ。

・医学用語でも同じことやってたな。肩甲骨を肩の骨とか言い換えてたんだっけ?
・ハングル表記で医学教育ができないのも有名
・日帝残滓の最たるものってソウル大学じゃないのかねー
・何故か日本には韓国由来の言葉って殆ど無いんだよな
・未だにその用語が残ってるって事は併合以前の朝鮮にはそれらの概念そのものが無くて
用語と同時に概念も日本から輸入したという事だな

 

日本人が発明したカラオケは世界中に広まり、英語では「karaoke」、ロシア語では「карао́ке」、中国語では「卡拉OK」と、日本語がそのまま使われているが、韓国では「ノレバン」(歌の部屋)になる。そんな国は韓国しか知らない。
韓国人に理由を聞くと、

「カラオケは日本語だから、それを考えると楽しい気分がなくなるからじゃない? だから、“ノレバン”という韓国語の表現を作ったと思う」

と言っていた。

また、彼から韓国語の「部隊(プデ)」が日本語の「部隊」に由来していると聞いた。この言葉は現在どうなっているのだろう?

韓国と対話で真逆の日本認識

韓国では、統治時代の日本人が偉人として教科書で紹介され、お米の商品名になることは天地がひっくり返ってもない。逆に台湾では、戦後80年が過ぎても、国家が「日帝残滓」の精算作業をしていることは考えられないだろう。
台湾では統治時代があったから、日本との友好関係が深まり、韓国ではそれが理由で日本と対立している。

韓国と台湾の日本に対する見方を知れば、事実が歴史をつくり、教育が認識をつくるということがよく分かる。

 

韓国のプンオパン

日本のたい焼きが統治時代に韓国へ伝わり、今では国民的なお菓子の「プンオパン(鮒パン)」になった。
これはタイをフナ(鮒)に変えたから、「日帝残滓」の罪に問われなかったかも。

 

 

台湾 「目次」 ①

台湾 「目次」 ②

日本を旅行した台湾人の話①違い・驚き・好き/嫌いなこと

韓国と違う台湾の日本認識、原因は複雑な民族構成にアリ

【台湾平定】日清戦争の“完全終了”と乃木希典に“感謝”するワケ

台湾人がアニメを見て感じた「日本と台湾の学校との違い」とは?

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 去年だったか、私が大邱(デグ)にある壽城池を築造した水崎林太郞を紹介したことがあります。
    水崎さんは日本統治時代に大邱に定着して花卉農業をしていた日本人でした。彼は朝鮮人、日本人、フランス人などとともに朝鮮総督府を説得し、農業用水の開発を目的に壽城池を築造しました。彼は岐阜県出身でしたが、大邱で死亡し、遺言で自分の葬儀を朝鮮式にし、墓は寿城池が見下ろせる場所に作ってほしいと言ったそうです。彼は当時、大邱地域の住民のために寿城池を作りましたが、現在、韓国人は彼を指して、「大邱地域の農民に農業用水税を収奪した」と猛非難しています。これは恩知らずです。

    日本統治時代に朝鮮の3大都市となった大邱は、大韓民国建国後もその位置を維持し続けましたが、およそ20年前からソウルの衛星都市となった仁川に押され、今では4大都市に下りてきました。
    そして、水崎翁が作った寿城池は現在、大邱市民の憩いの場、遊園地として存在しています。寿城池の周りにはホテル、有名なコーヒーショップなどが点在し、大邱で最も有名な場所となりました。
    私は毎年彼のお墓に行ってお礼を言います。

  • 水崎林太郞のことは、Monte Cristoさんから聞いてはじめて知りました。ありがとうございます。

    >現在、韓国人は彼を指して、「大邱地域の農民に農業用水税を収奪した」と猛非難しています。これは恩知らずです。
    これが今の韓国社会の空気だと思います。統治時代の日本人に感謝することはできないでしょうね。

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